たまきちの「真実とは私だ」

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なぜ日本は変われないのか~結局アメリカのおかげで平和

 日本はなぜ変われないか? などと言うと、日本のどこを変えなければいけないのかなんて反対に訊かれそうである。今の日本は史上かつてないほど平和で豊かではないか。誰もそんな文句は言ってないではないかと。

いや文句はある。日本では個人が主体性の放棄を要求されすぎなことだ。主体性こそもっとも人間にとって大事なものと考える人間にとって、これは看過できない問題なのである。だから「日本はなぜ変われないか?」という問いは、「日本人が主体性を奪われて黙っているのはなぜか?」とも置き換えられる。なぜ日本人はこれほど従順、我慢しやすいのだろうか? 

もちろんそれで平和が守れるなら、誰だってすすんで我慢することにやぶさかではなくなろう。しかし、その国が平和であるかどうかは、国内だけの話では決まらない。対外的にも平和である必要がある。そして対外的な平和というものは、人民が我慢しているだけで得れるものではない。

ところが、今じっさいに日本は対外的にも平和だ。なぜだろう? 島国だから攻めこまれにくい。神風も吹く。だからか? 日本に恨みを持っていそうな国、狙っている国だって近くにいくつかとあるというのに。妙ではないか? どこからその対外的平和はころがりこんできたのか?

はっきり言おう。確かに島国であることもある。しかし日本が今、対外的にも平和である一番の理由(つまり日本人の抑圧が成功している大きなファクター)は、最近こそ、皆忘れかけているが、アメリカという世界最強国の軍隊が日本にいるからである。 

のみならずこの文脈で、日本が平和な、もっと決定打的な理由がある。それは、アメリカのオカゲで、一番戦争の起こる可能性の高い共産圏と自由主義圏との境界は、お隣の朝鮮半島の真ん中に引かれていることだ。このことが何より日本の「おらが国は平和」意識を不動のものとさせているのである。 

このラインがもし対馬海峡に引かれていたらどうなるか。これは現実にありえたことだ。朝鮮戦争は、北朝鮮が半島統一を目指して38度線を越え韓国に軍事侵攻したことで始まったが、実際に北朝鮮軍は半島をほぼ制圧しかけた、対馬海峡の手前まで来たのである。しかしアメリカを中心とした西側諸国が韓国に援軍を出し、逆に北朝鮮軍を中国国境まで追いつめると、今度は中国がうしろから北朝鮮への援軍として大量の兵を送りこみ、西側はその人海戦術の前にふたたび後退。結局元の38度線付近、現在の南北国境で手打ちが行われ、休戦となった。

 つまりこのときもアメリカは多国間の戦争に兵を派遣しているわけだが、なぜそうしたかといえば、単に東側の領土拡大を見過ごしにできなかったというだけではない。半島が東側に食われてしまえば、今度は日本が、つまり東アジアにおけるアメリカの勢力拠点が一気に危機にさらされてしまうからだ。 

対馬海峡で東西がにらみ合うことになれば、圧倒的に西側諸国が不利になる。言うまでもなくアメリカより東側諸国のほうがずっと距離的に日本に近い。兵を迅速におくりこめる。対してアメリカは日本を兵站の拠点にして朝鮮戦争を(ついでにいえばベトナム戦争も)戦ったわけだが、日本列島自体が戦場になったら直後の安全な兵站拠点がなくなってしまう。まさに背水の陣。アメリカ本土はもちろんハワイですら遠すぎるのだ。

 だから日本をアジアにおける長槍の先、最前線の不沈空母にしておきたいアメリカは、対馬海峡に東西分割のラインをおかせるわけには、絶対に、いかなかった。かといって、現在の中国と北朝鮮の国境にそれをおくのは、緩衝地帯がなくなるといういうことで、中国が断固として阻止しなくてはならなかった。かくて中国は参戦し、米中は現在の南北国境で手を打つことに合意したのである。 

これが、日本にとっても棚ボタだったのだ。歴史を振り返ってみれば、日本は文明開化以来、朝鮮半島を中国、ロシアといった大国からの侵略の緩衝地帯にしたがっていた。そしてまたアメリカもペリーを日本に派遣して以来、日本をアジアにおける拠点にしたがっていた。となると日本を確保していたいアメリカは、日本の防衛戦略をなぞらざるを得ない。かくて19世紀の日米それぞれの思惑は現在、実現し続けているというわけである。

 それに太平洋戦争で、またアメリカはひとつ、日本との同盟的関係を反故にしたくない、つまりは再度の敵に回したくない理由をつくってしまった。言うまでもなく原爆を投下したことである。日本はアメリカに対し核兵器を使用する精神的大義名分が、少なくとも、ほかの国よりはずっとあるのだ。だからアメリカは日本を敵=東側に取り込ませることは絶対にさせたくない。同時に日本に正式な軍隊も核兵器も持たせることもさせたくない。軍隊をいまだ駐屯させているのはそのためというのもあるのだ。

 この今の日米関係の構図が、日本の支配層に利したわけである。自国の安全が確保できるという以外に、その安全、平和に慣れきったところを利用して、国民を、統治に首を突っこむなんて考えすら及ばないほど受け身に教育してしまえたからだ

 そう、日本のお上は、国民が統治に首を突っ込んでくることを嫌がる。もっとはっきり言えば、国民が自分たちに向かって来ることを恐れている。それゆえに国は、最低限の物質は保証する一方で(ただし最低限だけだ)、「日本スゴイ」だの「日本という素晴らしい国で文句を言うのは間違っている」だの、寝ても覚めても言い続け、あるいはネット右翼を使って、中韓叩きに誘導するなど、国民の矛先が自分たちに向かないようにするのに余念がないのである。

 日本至上主義に見える自称保守派の政治家が、外国であるアメリカにへーこらするという現象の発生理由もここにある。もっとも、このへーこらにより自称保守派の政治家の日本至上主義は実は見せかけで、本当のところは単なる自分至上主義にすぎないことを証明してしまっているわけなのだが。

 また日本に野党が育たない、あるいは二大政党制にならないのもこれが理由だ。国民全体が大人しいということは、争いがないということであり、これでは与野党の二元対立で答えを出していくという体制が生まれるわけがない。何より経済・産業界がすべて自民党とだけつながっているという状況がこのことをより堅固なものにしている。つまり「お金」という現代人の生命線が自民党に独占されているので、政治精神が死んだ日本国民にとって政治とは金(収入)の問題だけとなり、結果、経済を掌握している自民党独裁の重力圏からは誰も逃れられないということになるわけである。よその地区の人間から見れば「なんであんなひどい人間が」というような者がいつまでも国会議員として当選するのもこれが理由である。 またそういうふうに選挙区を割り振っている。

つまり日本国民は、アメリカのおかげで平和であるところを利用したお上に、まんまと去勢されてしまい、それで人間としての主体性を失ったのである。 日々の糧、安全はもとより、すべてにおいて「勝ち取る」ことはなく「与えられて」ばかり。政府批判の仕方までも! こんなラクチンな世界ありますか? そして、このラクチンさに慣れてしまい、日本人は、自分で責任をとる行動は経済的損失(損)をともなうものであり、また精神的にも重荷にしか感じられないようになってしまった。だから、日本人はいつまでたっても主体性を奪還できないのである。 

私は、アメリカと同盟関係を結ぶことが悪いと言っているのではない。上記の地政学的見地からすると、現在これは必要なことに思う。そうではなくて、アメリカという後ろ盾があるから平和であることにつけこんで、お上が自分の支配に都合のいいことを国民に強制しまくっている、国民はやられすぎている、そこを変えなくてはならないと言っているのだ。そこまでゆずる必要はないと言っているのだ。 

主体性の欠如した平和は腐臭を発する。ゲーテファウストが数々の遍歴を経た最期に「止まれ、この瞬間よ、おまえこそが素晴らしい!」と叫んだ最高の瞬間とは、日々の自由と生活を戦って獲得しつづける人たちとともに生きることであったこともここで付言しておいてもよいだろう。そういった自覚を持ちつづけることはある意味、しんどいことでもあるが、そういう自覚がないことは虚しいことであり、また非常に危険でもあるのだ。

 そろそろ日本人は主体性を失っている必要がないこと、そして主体性を失っている危険性に気づくべきである。