たまきちの「真実とは私だ」

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真珠湾攻撃はすべて山本五十六のせいにせよ!

昨年末は、真珠湾攻撃から80年ということで、いろいろ特別番組もあったようだが、昔から12月8日を迎えると必ず放映される映画がある。『トラ!トラ!トラ!』(20世紀FOX社 1970年制作)だ。私もけっこう見た口だが、この映画には大きな疑問があった。

資本面からすると完全に米映画であるのに、やたら日本人が喜ぶ内容になっているのもふしぎなのだが、それ以上に不思議なのは、まるで真珠湾攻撃は、山本五十六ひとりが決定し進めたかのように描かれていることだ。しかもとてもかっこよく!

たとえば、この映画では山本五十六が「日米戦、避けえざるとき、私が連合艦隊司令長官であるかぎり、真珠湾作戦は必ずやる!」と連合艦隊幕僚たちを一喝するシーンがある。だが、連合艦隊司令長官にはそのような権限はない。そういえるのは、海軍の作戦を決める軍令部(陸軍の参謀本部にあたり、天皇に直結している)のトップたる軍令部総長だけだ。ところがこの映画には軍令部という言葉は出てくるが、軍令部自体は出てこない。

現在、一般には、山本五十六が「真珠湾攻撃ができないのであれば私は連合艦隊司令長官をやめる」と言ったので、軍令部総長永野修身が「それほど山本に自信があるならやらせてみようじゃないか」と採決したのだといわれている。しかしこの話は、山本自身が、ではなく、部下の参謀が軍令部に向かって「真珠湾やれないなら、山本さん、長官やめるってよ」と言った(らしい)ものにすぎない。どっちにせよ、やると決まったからには軍令部総長が責任をもつのが当然のはずである。それが「山本に自信があるなら」では責任を回避している。また、これほどの作戦は最終的に天皇の裁可だって要る。つまり少なくとも真珠湾攻撃をやることに対して、海軍上層部、国家上層部のコンセンサスは、とれていたはずなのだ。なのに、「山本五十六真珠湾攻撃を敢行した」と(もちろんこの映画の前から)とらえられている。しかも英雄的に。これは一体なぜだろうか?

この颯爽とした山本五十六像に戦後の海軍善玉論が反映されているのはたしかだろう。あの戦争、悪いのは陸軍だ。海軍は冷静にみており対米戦争には反対だった。それが証拠に東京裁判において海軍からは死刑者が出ていない、などなどというあの海軍善玉論。たしかに人間が陸上の動物であるかぎり、海軍より陸軍のほうが最終的な主導権をもつのはおかしくないことであり、満州事変にはじまる日本の領土拡大は陸軍が中心でおこなってきたことだ。しかし、対米戦に関しては真珠湾攻撃をはじめ、開戦へのルビコン河となった南部仏印進駐も、海軍に積極性があったことが今では知られている。くわえて、東京裁判で海軍から死刑者が出なかったのは、海軍がまとまってうまく立ちまわり、陸軍にその責任をおしつけたからだとも最近になり、ちらほら言われだしている。

もしそれが本当ならば、海軍の生き残りは、実は、ていよく死んだ山本五十六真珠湾攻撃のすべてを押しつけてしまったということではないのか。ボクたちじゃありません。山本君がやったんです! 

そもそも真珠湾攻撃は卓越した指揮官山本五十六による大胆奇抜な発想などというふうに言われることがあるが、実際にはそれほど奇想天外、画期的な作戦ではない。すでに1927年に日本側は海軍大学校の卒業図上演習でハワイ奇襲をとりあげていたし、アメリカ側も1931年には、大型空母レキシントンサラトガを使って、日本空母にハワイを奇襲された場合の実地演習を行っているのである。魚雷攻撃で軍港をおそう奇襲も真珠湾攻撃の1年前に地中海タラント軍港で行われており、イタリア戦艦が大破着底している。何も新しい作戦ではないのである。

私個人は、真珠湾攻撃の一番の原動力は、山本五十六ではなく、その下にいた連合艦隊司令部の中堅幹部だったのだと思っている。これは陸軍もそうだったと思う。実働指揮をする40代の中堅のエリート幹部があの戦争を推し進めた中心勢力だったのだ。何となれば戦争というのは血の気の多い連中がやるものであって、おじいちゃんがやるものではないからだ。ここらは今の大臣たちと財務省エリート官僚との関係とも似ている。

つまり山本は若い血の気いまだ多き部下たちの突き上げを食らっていた。彼ら中堅幹部は戦後まで多くが生き残った。エリートは最前線に出ていかないからである。しかも若手中堅というのは代替わりしていくし、結局はトップではなく表に出てこないので、誰が首魁であったということは分かりにくい。あの満州事変を起こした石原莞爾中佐も後年少将に昇進したときは、日中戦争を止めようとしたのだ。太平洋戦争時中堅だった幹部は、戦後、しばらくは戦犯として要職から追放されたが、日本をアジアにおける対共産主義国の先鋒とするためアメリカが日本の復興を促すのに、彼らの追放を解いたから、再び彼らは日本を動かす座に返り咲けた。だからすべてを死んだボスのせいにしやすかった。しかし、死者に責任を一方的に押しつけてはさすがに良心がとがめる。それで山本については「飛行機の時代となることを見抜いていた慧眼の持ち主」とか「真珠湾奇襲というたぐいまれな作戦を考案、実行した優秀な戦術家」とか「日本を守ろうとして対米戦に最後まで反対した愛国の軍人」とか(勢いあまって反戦主義者と言われるときすらある)英雄・偉人的側面を強調することとした。こうして、今の山本五十六英雄史観とでも呼ぶべきものが誕生したのではないか。

アメリカにとっても(日本の)海軍を見逃しにすることは都合がよかった。そうすることにより、日本人をして、アメリカに対する精神的クリアランスを持たせ、日本占領をスムーズに進めることができるからだ。日本人のアメリカに対する憎しみの残滓もこれで大いに薄まるであろう。薄めなくてはならない。アメリカは日本人が心のどこかでいまだアメリカを憎んでいると知っているからである。そりゃ知っている。原爆を落としたのだから。こう考えるとアメリカ映画である『トラ!トラ!トラ!』のあのカッコイイ山本五十六描写も分かってくるというものではないか。(ちなみにアメリカは真珠湾攻撃を防げたものだとして反省しているので東京裁判ではその責任を追及していない。そしてそのことは米国民を奮い立たせる材料として使ったことと矛盾していない)

特に『トラ!トラ!トラ!』は公開2年後に沖縄返還が迫っていたので、それを心理的にスムーズに行かせるためもあったのではないか。日本人に「ああ、俺たちも昔はこんな強力な艦隊をもっていて、ハワイのアメリカ艦隊を一方的に粉砕したんだよなあ」と気持ちよく思い出してもらえたら、万事ことはつつがなく運ばれるというものである。
 
のみならず、現在の日本の上層部にとっても山本英雄史観は利用価値が高い。アメリカに負けた無念さを昇華し、また真珠湾攻撃の「腹黒さ」をも薄め、日本人に自尊心の満足をもたらす役割も果たしてくれるからである。現在、アメリカが朝鮮半島の真ん中に東西の線を引いてくれているおかげで日本は平和なのであり、平和だからこそ日本人は大人しく、お上にとっても御しやすく安心していられる存在になっているのであるから、国民のアメリカへの憎しみの昇華は常時行われねばならない。また一方で軍人ヒーローを作っておくことは、軍備再強化をスムーズに進ませ得るベースともなる。
 
また現在の日本国民にも都合が良い。日本軍はアホな指揮官ばかりで、それがバカな作戦を行い続け、惨敗を喫してしまったが、ちゃんと優秀な人材も幹部にはいたのだよということで、敗戦の慰めにもなるからだ。
 
以上、多くの人間の利益が一致しているところで、山本が真珠湾攻撃の主役とされ、諸説、証言もその方向で多くが捏造されているのが事実ではないのか。それをマスコミもなんとなく分かっているから、いまだあらゆる書籍は、こと対米戦争の話に至ると、「真珠湾攻撃を敢行した山本五十六」と顔写真つきでそれを載せることをおこたらないのである。
 
真実を示す資料は、山本が1943年に戦死した時、海軍が山本の自邸にまで押しかけて回収、処分しているため、これはかなり自由な絵を描くことが可能だった。真珠湾攻撃の最初の発案や、それの検討命令ですら山本五十六が発信源ではなかった可能性もある。もしかしたら有名な山本のバクチ好きですら、真珠湾攻撃と言う大バクチを山本のせいにするための捏造、あるいは誇張なのではないだろうか。戦後、山本を題材とした小説・映画の内容(特に自身海軍士官だった阿川弘之のもの)の、特に「セリフ」が事実ととらえられて一人歩きしているところもあろう。映画『トラ!トラ!トラ!』などは、本当にしろ、嘘にしろ、そのイメージ定着の決定打となったことはまちがいない。
 
山本について多くの捏造があるなら、山本の言動には矛盾も出てこよう。事実、多くの研究家が山本の矛盾に首をかしげ、「二面性」などの安易な言葉でお茶をにごし続けているのである。
 
言動の矛盾でいえば、たとえば山本は「アメリカには絶対勝てぬ。だからアメリカと戦争するな」と日本を守る的なことを言いながら、なぜ真珠湾攻撃なんてアメリカを怒らせてのちのち日本がコテンパンに仕返しされるようなことをしたのかということがよく言われる。これは、山本がただ海軍組織の官僚――典型的日本の官僚であったということで説明がつくのだ。彼は日本でなく、おのれが属する組織の日本海軍をつぶしたくなかったのである。山本五十六海軍次官時代、ドイツとの同盟に反対しつづけたため、たびたび海軍省に右翼人物が脅迫訪問に訪れ、右翼の暗殺候補者リストにもその名が載せらていたというが、当時、ドイツとの同盟反対は海軍上層部の共通意識だったのであり、また次官が広報担当だったために、山本が目立つ地位にいたというのにすぎなかった。暗殺リストに載せられていたというのも、強硬派のブラフ、あるいは推進意識醸成のためくらいのことであり、本当に海軍の現役将官を陸軍、あるいは右翼が殺したりしたら日本は対外戦争でなく内戦になっていただろう。そもそも三国同盟を結ぶかどうかの話がのっぴきならぬほどに沸騰してきたのは、1939年9月ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦がはじまったとき以降であり、決定的なことになったのは1940年6月にドイツがフランスを降伏させたときであった。つまり、ドイツが本当に戦争を始めたから同盟の話が本格化し、また開戦後ドイツの快進撃があったからこそ、日本も「勝算あり!」とドイツと同盟をむすび、最終的に対米戦に踏み切ったのである。それらは独ソ戦に影響された陸軍の北進という独壇場を恐れた海軍も同意したことであった。ところがドイツが第2次世界大戦を始めたとき、もう山本は、連合艦隊司令長官になっていて東京にはいなかったのである。三国同盟が結ばれたのはその1年後の1940年9月だ。連合艦隊司令長官になってからの山本は政治的な発言はしていないし、そもそもする立場にない。
 
山本は凡将といわれることもまた多い。その理由はといえば、真珠湾の成功をよし山本の手柄としても、ミッドウェーの惨敗もまた、山本の責任に帰せざるをえないためだ。強引にことを進めたのを同一人物としているかぎり、どちらかだけをとる良いとこどりはできないのである。真珠湾攻撃もミッドウェイ作戦も、一気に米海軍を殲滅せんと企てた、危険な奇襲という大バクチであった。ただ真珠湾では賭けに勝ち(しかし空母は打ちもらした)、ミッドウェイでは賭けに負けた、それだけのことにすぎない。失敗した真珠湾攻撃がミッドウェイ作戦であり、成功したミッドウェイ作戦が真珠湾攻撃なのだ。幸運と不運とが1回ずつで清算されただけの話である。
 
ミッドウェーの空母炎上の報を後方の戦艦大和上で次々と聞いても山本は「ほう、またやられたか」と言っただけで、まるでひとごとみたいに部下の参謀と趣味の将棋を指しつづけたという話も有名だ。山本英雄史観信奉者にとって都合の悪いこの証言は、山本を尊敬していた彼の従兵長のものなので信用に足る。これでは航空機主戦主義の先見者山本五十六の名に傷がついてしまう。仕方がない。実際には南方進攻のために不可欠の作戦ではないと認識されていたのだが、真珠湾攻撃のおかげで南方進攻はスムーズに行ったのであり、ミッドウェーの大敗のほうは南雲のせいにしておこう。何? 南雲は真珠湾は成功させてるじゃないかって? それはいけない。南雲は真珠湾では、第2次攻撃を行うことなく、さっさと現場から逃走したということにしておこう。実際には真珠湾攻撃は一撃離脱でまったく正解だったのである。6隻の主力空母とそのベテランパイロットたちは、戦争中には補充が見込めない虎の子であり、第2次攻撃は疲れ切った第1次攻撃隊の再出撃になるのだし、敵に5時間もの態勢立て直しの時間を与えるうえ、帰路は何も見えない暗闇の海上と夜間着艦になるのだから、追加戦果よりこちらのほうが致命傷を受けていたはずだからである。反復攻撃の進言は奇襲の成功を聞いた一部幹部が興奮して口にしたにすぎない。この誤解はニミッツの回想録の影響も大きい。ニミッツ真珠湾攻撃の不徹底を指摘したのは、この作戦、日本側も相当に間が抜けていた、ゆえに大した作戦でもなかった、むしろ神の御加護があったのはアメリカのほうであったという国内向けの宣伝だったにすぎない。オイルタンクが破壊されていたとしてもアメリカは当時、日本の740倍(!)も石油がとれたので、漸次、本土から運んで来ればいいだけなのだから。
 
その他山本には、真珠湾攻撃成功直後、意味もなく内地の艦隊を近海に町内一周させたり(ハワイの米残存艦隊が出てくるのを迎撃するつもりだったという説もある)、初の空母同士の対決となった珊瑚海海戦のデータ、戦訓を無視してミッドウェイ作戦に臨むとか、無口で部下にはっきりした指示を出した形跡がないなど、とても名将とは言えない不可解な采配、態度も多い。緒戦の機動部隊指揮官南雲忠一は山本の戦略的意図を理解しなかったと書いている本もたくさんあるが、山本のほうが明確な指示を出していないのである。ここらは敵のニミッツ大将とは大きな差である。「水から石油を作る事件」や、愛人に艦隊の出撃の日を手紙で漏らしていたことなどは山本神話信奉者にしてみれば「もう言わないで」的なものであろう。どちらかというと軍政面で優れていたと言われながら、作戦行動である真珠湾で評価されているところも齟齬のひとつだ。上記の艦隊町内一周などは、そうすることによって一周した将兵にも作戦参加のボーナスポイントがつくシステムだったので、山本が部下への恩情としてそうしたなどとも言われる。今度は恩情家山本。もうなんでもありである。
 
とはいっても、私の主眼は、山本五十六批判にあるのではない。生き残った人たちによって真珠湾攻撃は山本が「主犯」ということにされているのではないかということである。その意を酌んでいただければと思う。