なぜ日本はアメリカとの戦争を避けることができなかったのだろうか?
この疑問の核心は、おそらく次の部分にあるのだろう。
「負けると分かっている戦争はやめておこうという至極かんたんな現実的判断がなぜできなかったか」
個人、特に若者であれば、ときによっては「プライド」やら「意地」で、負けると分かっている喧嘩をやることはある。しかし、いやしくも当時すでにして先進国であり、優れた頭脳を持つ人間たちをトップに立てていた国家が、なぜにして、国力にして10倍、科学技術力も工業生産力も、資源も人口も上回る国と戦争するという理屈にあわない判断をしたのか。
もちろん、未来は不確定なのだから「絶対に」負けると決まっているわけではない。また当時、皆が、はっきりと「負けると分かっていた」わけでもない。むしろ一般国民のレベルでは、「アメリカ人は贅沢に慣れて惰弱であり、物をたくさん持っているだけにすぎぬ。開闢以来不敗の神国たる日本が負けるわけがない」という教育、喧伝がなされていた時代だけに、そのとおりに考える者は多くいた。少なくとも、アメリカに完敗したことを史実として知っている現代日本人と比べると、アメリカの力を低く見積もっていたところが多分にあった。
しかし、政府のほうはさすがに情報も持っていたし、アメリカとやるのはまずいと考えていた。快進撃を続けるドイツが、ソ連に勝ち、返す刀でイギリスを斬れば、残る枢軸国側の大敵はアメリカだけだ。が、それが希望的観測にすぎぬことも承知されていた。アメリカに勝てる根拠がほとんどないことは、アメリカを仮想敵国とし、アメリカの強さを分かり抜いていた海軍はもちろん、「アメリカは大陸から兵を引けというが、そんなことは絶対できん」と言い張り続ける陸軍にしても、開戦の9か月前には戦備課で国力による比較検討をして同じ結論を導き出していた。他の閣僚たちの不安は言わずもがな。だから不思議なわけだ。彼らは何を考えて開戦を決めたのか?(↙)
(↙)陸軍が「絶対引かぬ」と言い張り続けるのであれば、アメリカは石油の禁輸を解かないので、日本は東南アジアの油田を力で奪いに行くしかなくなる。そうなればアメリカと戦争だ。これも分かっていた。ならば陸軍がおかしかったんじゃないかといいたくなるが、ことはそう簡単ではない。確かに軍部には戦争をしたがる血の気の多い者らがいたが、陸軍は、対米戦の主役となる海軍が「アメリカに勝てる見込みはない」というなら、大陸から兵を引いてもいいと考えていたのである。これは、それなら、陸軍は己がメンツを傷つけぬまま、「引く」ことができるという計算からだったが、ともあれ陸軍は、アメリカとやるかやらぬかはその先鋒となる海軍が最終的に決めることだと考えていたのである。海を隔てての敵なのだからこれはある意味正しかった。
ところが海軍は、「勝てる見込みはない」とついに発言することはなく(1939年、第2次世界大戦が始まる直前に、時の米内海相が、日本海軍は英米海軍と戦えるようには整備されていないと発言しているがそれが最後だった)、1941年6月、ドイツがソ連に攻め込んだあたりから、やるなら物がある今しかないと言いはじめたのであった。それは、陸軍と同じくメンツ、そして同じく若手中堅の血気もあったが、ドイツに呼応してソ連を挟み撃ちにしよう(いわゆる北進論)という意見に抵抗するためでもあった。ソ連に攻め込んだら、アメリカが参戦することが見込まれた。そうなったら南北2正面戦争だ。海軍は南、つまり対米戦のほうが主になるが、北に戦争資源(特にこの場合は鉄)をさかれてはとてもアメリカと戦うことなどおぼつかない。だから海軍としては、「やる」なら南進、すなわち対米戦に限定してもらわないと困るというわけだ。
また海軍には、零戦、戦艦大和、そして米海軍の数を超える空母など、質としては当時、世界最高クラスの新兵器がそろったこと、アメリカは中立法の影響で戦争準備が遅れていて、太平洋に限れば日本海軍のほうが現戦力では上回ったということもあった。また、「アメリカと戦争になるかも」ということで戦争準備をしているうちに(出師準備といい、かなり大掛かりなもの)、士気、いわば戦争したさが高まってしまっていたのもあった。さらには、日本海海戦以来35年も海戦をしておらず、陸軍の大陸での暴れっぷりを見ながらフラストレーションがたまっていたこともあったかもしれない(航空部隊などは日中戦争に参加していたが)。しかしそれでも、優位に戦えるのは、せいぜい1年くらいの話で、2年後にアメリカがその国力を発揮した軍備をそろえてくるのは、海軍自身が一番分かっていたことであった。つまり陸軍のみならず、海軍「も」おかしかったわけである。「引く」と言わぬ陸軍。「勝てぬ」と言わぬ海軍。
当時、そういった陸軍、海軍、それぞれの言い分を統括して判断する人間、最高意思決定の部署があればよかった。ところが、五・一五事件や二・二六事件という軍部のテロリズムを経たのちの日本には軍部に物申せる者はいなくなってしまい、首相も、武力拡大主義に追従するだけとなっていた。「準備とタイミングがあるのだから、やるならやると早く決めてもらなければ困る」という統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)の発言は、専門部署としての本音でもあったろうが、もはやこれに対し「統帥部としてはそうだろうが、それをしてやるかやらぬかを決めるのは本末転倒である」と抑えれる人間などいなくなっていたのだ。そもそもこのとき、首相が国家意志決定のまとめ役だったとしても、国民に対し、「アメリカとのっぴきならぬ関係に陥ってしまいましたが、太平洋の平和のために、大東亜共栄圏構想の実現は今回は見送り、大陸から兵を引くことによって、またアメリカに石油を売ってもらうようにします」と言えたかどうか。ここまで、指導者側が国民に対し、強い日本となるための我慢と犠牲を強い(すでに日中戦争の段階で、国家総動員法、大政翼賛会での統制、食料配給制などは始まっていた)、日本は神国、日本軍は強いなどというほか、外国とことあるごとに向こうのほうが悪いと言い続けてきたのである。対米開戦前も「交渉、アメリカ誠意なし」と新聞に書かせ続けていた。ここにきて「アメリカの条件を飲んで戦争は避けます」などと言えば、今までのは全部何だったのか。黙っていないのは血の気の多い連中ばかりではなかっただろう。
国民にごまかしをし続け、それが習慣となってしまったがために、筋の通った説明ができなくなった。ということは、当時の日本は、指導者層と国民は、政治システムでもって有機的につながっておらず、お互いを制御する相関関係になかったということを意味する。すなわち、外見上は選挙の行われる近代国家であったが、内実は、指導者層が国民をトップダウンで支配する封建国家にすぎなかったということである。このことが対米戦を避けるロジックを展開できぬネックになったのだ。
可視化された政治が行われていれば、国民は、納得したかはさておき、少なくとも説明を聞く姿勢は見せただろうし、支配者側も上記の現実的な説明を行うことをためらうことはなかったであろう。また、逆に名実ともに封建国家であれば、国民にことを極秘にしたまま戦争を強制することもできたのかもしれない。が、かたちの上では近代国家なのだから、新聞ほか、いろいろな情報媒体もすでにある。もう国民に対して、ことを黙っていることも、また国民側からの声を無視することも不可能になっていた。すなわち国民のほうも、郵便投書などを使って、刹那的な強気の態度を匿名のまま、いい気になって無責任に表明できた。この「いい気さ」には、日本が島国で対外戦争による戦禍を受けたことがほとんどないことも与かっていただろう。しかし責任を負わない民主主義などないのだ。いわば、日本は近代国家としてニセモノだったがゆえに、対米戦を避けるという合理的判断がとれなかったのである。
そうであれば、問題は次に移る。なぜ、日本はこんな統治形態の国になってしまったかだ。これは、それほど考え込むことではない。幕末、日本は欧米列強の圧迫を受け、強制的に開国、そして不平等条約を結ばされるという屈辱を受け、彼らに対抗せんと、急速に近代化(欧米化)を進めた。ここに根元があったとたいていの人が思い至るだろう。
明治開化のとき、明治元勲たちは、国民を巻き込んでの国造りの議論などせず、自由民権運動を圧迫しながら、一方的に国づくりを進めて行った。ここで日本はもう近代国家になるための条件を落としていたのだ。欧米の文化もとりいれたが、国としての方向性は富国強兵。すなわち「強い日本」になること。それは「大日本帝国」というスゴイ名前に象徴されていた。それは世界覇権帝国という意味ととってもあながち間違いでもない名称だ。「世界」がいきなり大げさすぎるなら、まずはアジア覇権帝国! どちらにせよ、そうあることは日本の野望、悲願であり、そして悲願はすべからく達成されなくてはならぬ。いってみれば、対米戦をやるかやらぬかの判断基準は「勝てるか勝てないか」ではなく、「大日本帝国の看板をここで下ろすか下ろさないか」「覇権帝国たる野望をここであきらめるかあきらめないか」「かつてアメリカに受けた屈辱のそそぎをここでやるかやらないか」にあったのだ。日本は世界一(まずはアジアの盟主)であるべきだからアメリカとも戦うべきである。それに、ここで引くことは、黒船のときに続き、またも戦わずしてアメリカに屈すること、再び、あの屈辱をなめること、明治開化以来の努力のすべてが水の泡、元の木阿弥となることだ。そんなことは絶対にあってはならぬッ!!
こうして、アメリカとやればほぼ負けるだろうから、彼との戦争はやめておこうという現実に基づく判断よりも、日本は欧米に負けぬ世界の強国でなければならぬのだから、アメリカと戦ってこれを打ち破られねばならないという理想(非現実的)に基づく判断のほうが採られてしまったのだ。
あとは、南方の油田地帯を占領してしまえば長期戦を遂行することができるという予測データやら(実際には戦争後半になると日本の輸送船は次々と米潜水艦に沈められ石油は日本に来なくなった)、彼我の物量差は大和魂で埋められるなどの「やれる」見通しを並べて、最後の反対派を黙らせるだけだった。もっとも反対派も「アメリカとはまずいんじゃないか」と考えていただけで、日本の拡大については肯定していたので、あまり黙らせるのに労力も要らなかった。
現実をしっかりと見据えるのではなく、「こうあらねばならない」「こうあってほしい」という希望的観測で行動を決めてしまうのは、鎖国で外国(いわば外にある現実)との交流・かけひきを拒み続けてきた日本人が自ら培ってしまった悪癖である。アメリカ兵より日本兵のほうが強いなどという思い込みも、何ら現実的根拠のない信念にすぎない。
とはいうものの、明治時代までは、まだそれほど日本の判断は、非現実的なものではなかった。アメリカの要求に従い開国したのも、アメリカには勝てぬと判断したからだし、大国ロシアとの戦争なども、ロシアが朝鮮半島を狙いだしたので、それを阻止するというむしろ防衛的な目的で行われたものだ。たしかに朝鮮半島を自分のものと考えるのは日本のエゴイズムであるが、イギリスの支援などもあったし、判断自体はそれほど現実から遊離していない。ところが、昭和の戦争となると、満州事変にしても日華事変にしても、火急の、あるいは計画的な目的などはなく、まさに暴走、ただ拡大のための拡大のような戦争となってしまうのである。すでに言ったように、悪いのは向こうであるという説明が国民にはなされた。
なぜそうなったか。それはすでに申し上げたように、合理的な損得計算の判断を下す国家の意志決定の中枢がなくなってしまったためだ。明治までは元勲たちがその役割をになっていた。ところが、元勲たちの「合理性」には限界があった。一番まずかったのは、自分たちがいなくなったあとにも、日本という国家が機能し続ける「合理」的システムを築けなかったことである。元勲が衰退すると、次にリーダーとなるかと思われた首相は次々と、「日本のことを考えてない」、「私腹を肥やしているだけだ」、「統帥権(軍を動かす権利として天皇にのみあると大日本帝国憲法では定められていた)を干犯している」などと非難され、右翼主義者や軍の青年将校に暗殺されていき、首相職は有名無実のものとなってしまったの。
なぜそんな口実をつけられての首相暗殺が横行したかの理由ももう申し上げた。「武力的に強い国としてある」、かつ「欧米列強の下位に位置づけられていた屈辱から逃れたい」というのが日本の国是、悲願になってしまっていたからだ。国民にしてみれば、そのために我慢を強いられてきたのである。日本は島国で、支配者による一元化、一丸化の圧迫からは、物理的にも、精神伝統的にも逃げにくいため(それゆえアジアでもっともすばやく欧米化もできたのだが)、国民は自由を得ることを諦めて、その圧迫の根拠、すなわち「強い日本であれ」「欧米を追い越せ、打ち倒せ」という方向でその我慢の鬱憤を爆発させやすい。さしずめ首相暗殺は、その爆発のひとつなのであった。いわば「強い日本であれ(領土拡大)」ということが、日本の方針であるべきと決まっており、国民はそのために我慢と努力を重ねてきたのだから、今さら、避戦方向に国をもって行くという判断をする指導者、政治家など不要、というか、むしろ邪魔だということで首相はあやめられていったのだ。
さらに、支配者側にしてみれば、そのように国民を抑圧してきたのは自分たちであるがゆえ、国民のそういった攻撃性が自分たちに向くこと、すなわち、暗殺も含めて、弱腰批判、民間クーデターなどを恐れるようになってしまい、より強く「強い日本であるという国是」の方向で物事を進めだすこととなってしまった。そうなると、理性的な制御装置の確立は、いよいよなされなくなる。もはや大日本帝国を統べるものは、「強い日本であれ」という国是であり、「強さ」を担う軍部となる。軍部、すなわち戦争屋のやり方でものごとのすべてを解決する国となる。
これでおしまいだ。軍部の中堅幹部には、「勝てるか勝てないか」などは二の次で、「とにかくやるのだ」で凝り固まっていた者もいたらしい。戦争とは基本、若者がやるものである。中堅エリート幹部。彼らこそが、日本を戦争に向かわせた1番の具体的勢力、戦争に向かう力をもっとも顕現した人間であり、現場を実際に支配している軍部の実体でもあった。中堅層は名前が表に出てこず、責任も責任感もあまりないので、かえって好き勝手ができ、その若いパワーで上層部をつきあげることもできた。このような者らが何も掣肘されることなく跋扈する国となってしまっては「戦争ごっこ」のように戦争が開始されてもおかしくないというものであろう。しかし、これは、彼らに責任があったということではない。近代軍隊を作った限り、誰かが彼らとなったはずだからである。近代軍の軍人はみな官僚なので結局、個人の自由意志的存在ではなく、全体の中での匿名的存在なのがその本質だからである。
このように意志決定の政治中枢がなく、戦争ゲーム屋が牛耳る国となったので、満州事変を皮切りに再びはじまった領土拡大は、無制限、無統制のものとなったのだった。そして無制限の拡大を続けていけば、地球はひとつなのだから、やがて世界最強国とバッティングしてしまうのも当然のことであった。そしてこともあろうに、その最強国との交渉中に、南部仏印進駐というさらなる拡大行為を行い、とうとう「日本の東南アジア支配の野望はもはや明らか(実際日本はそう計画していた)」と当の相手に石油の禁輸を食らってしまったのだった。前年の北部仏印進駐でアメリカに屑鉄等の禁輸措置をうけた時点で、新聞には「次は石油か」と書かれていたくらいなので、南部仏印進駐は戦争をするための確信犯行為でやったという説もあるが、たとえそうでなかったのだとしても、即座に「待った」をかけ、「今のはナシ」と言うこともまた、上でみたとおり「強い日本であれ」との国是(とそれを象徴する強硬派)と、国民に対するメンツとにはさまれて口に出せないものとなっていた。かくて日本は、引き続き、無制限の拡大方向の道をそのまま進んでいったのであった。
無制限の拡大を続ける、それは攻め続けるということである。日本の昭和の戦争はひたすら「攻め続ける」「突撃し続ける」ばかりであった。それは対米戦初戦の真珠湾攻撃もそうであったが、アメリカに押し返され敗北が決定的となったときも日本軍がとり続けた道であった。すなわち特攻に万歳突撃である。最後に計画されていた本土決戦ですら「これは防衛ではなく攻撃である」と要綱案に書かれていたのである。アメリカと戦争すること自体が特攻のようなものであったからこうなるのは必然であった。
以上をまとめると、冒頭の「なぜ負けると分かっている戦争はやめておこうという至極かんたんな現実的判断がなぜできなかったか」の理由は、外国は敵だと自閉していた引きこもりが外国による強制開国という屈辱を受け、それを晴らすために「強い日本」であろうと領土拡大を開始したが、その勢いが国政における制御装置をも存在せしめなくしたためということになるだろうか。さらに単純化すれば、強い日本であることを証明するために、世界最強国相手との戦いも辞さず向かって行ったともいえる。
となれば、原因の「核」は、冒頭で述べた個人の場合と同じく「プライド」「意地」ということになるのだろう。特に日本は島国であることをいいことに、自分たちだけで閉じこもり、プライドを純粋培養してきた過去を持っている。ゆえにそれは他国より、より強烈なものとなってしまった。そういう意味では、「自閉性」こそが、対米戦を避け得させなかった究極の原因ともいえるだろう。
しかし日本人のこのような性癖は自己分析でコントロールが可能になるものでもある。そして今後われわれはそうしなければならないはずである。だが、一元化、一丸化、軍隊的制度や抑圧教育、国家意思決定の中枢の欠如などはいまだ続いている。それは結局、戦後も「強い日本であり続けるという国是」が「武力によって」から「経済力によって」に代わっただけで、生きながらえてしまったからだろう。昨今の「日本スゴイ」も結局のところ「日本強い」のヴァリエーションにしか見えない。そしてまた、国民が、匿名のままいい気になって強気の意見を責任も背負わずに放言することもネットによって日常茶飯事になっている。
日本人はいまだ、「強い日本であり続ける」という強迫観念から解放されていない。