たまきちの「真実とは私だ」

事件、歴史、国家の真実を追求しております。芸術エッセイの『ある幻想画家の手記』https://gensougaka.hatenablog.com/もやってます。メールはshufuku@kvp.biglobe.ne.jpです。

なぜ日本はアメリカとの戦争を避けることができなかったか

なぜ日本はアメリカとの戦争を避けることができなかったのだろうか? 

当時、アメリカの国力は日本の10倍だったのである。本気でぶつかりあえば負けるに決まっていた。これはあと知恵ではなく、当時の日本の最高有識者でチームが組まれた「総力戦研究所」からもそう報告が出ていたのである。なのに、なぜ?

日本が開戦に向かった状況的理由としては、大きく3つある。1つは東南アジアを欧米から奪い取る絶好のチャンスが到来したことだ。太平洋戦争は東南アジアの支配権をめぐる戦いであった。それを奪取するチャンスが、欧州で快進撃を続けるドイツによってもたらされた。第2次世界大戦をひきおこしたドイツは1940年、オランダ、続いてフランスを撃破し、イギリスにまで進攻しようとしていた。これで欧米のアジア植民地、すなわちフランス領ベトナム、英領マレー、オランダ領インドネシアは、日本帝国の前に風前の灯となったのである。あの資源豊かな東南アジアをとる大好機! しかしその地域には米領たるフィリピンも含まれていた。アングロサクソン紐帯もある。東南アジアを得んと動くならアメリカとの戦いは避けられない。

そして2つめとして1941年6月、同じくドイツがついに大国ソ連に攻め込んだことが起爆剤となった。これは物理、精神両面で日本のアメリカへの挑戦意欲をかきたてた。物理的な面とは、とりわけ陸軍が長年の宿敵であるソ連のことを考慮しなくてよくなったことだ。そして精神的な面とは、大国に挑戦状をたたきつけるという同盟国ドイツの勇猛さ、大胆さに感化されたということである。(私個人はこの精神的理由が一番大きいと思っている。戦争することを最終的に決意させるものは戦意だからだ)

実際には総力戦研究所は、ドイツがソ連に勝てないというところまで予測を出していた。しかしものともせずドイツは、われらの宿敵でもある大国ソ連に果敢に進撃している! そもそも三国同盟は、ドイツが日本のアジア支配を認める代わりに、日本はアメリカを地球の裏側から牽制するということで成立していたものであった。ならば日本も共通のもうひとつの敵である大国アメリカに挑むべきはないのか!? 軍部の好戦主義者たちの戦意と興奮が頂点に達したであろうことは容易に想像できる。

実際、独ソ戦と日米戦は実に似ているのである。安易な勝算でもって大国に挑んだ無謀性。機甲師団、機動部隊の新運用をそれぞれ敵に模倣され、それによって押し返された展開。南方を残しながら中央突破をされたこと、等々・・・。

そして3つめの理由として、当時は史上、日米の戦力差がもっともなくなったときであったことがある。アメリカは孤立主義を貫いていたので戦争準備が遅れていた。対し、日本は全力でそれをしていた。速攻で押して押して押しまくればなんとかなるのではないか!? この速攻に賭けた皮算用独ソ戦と同じだ。

こうして対米戦の賽は投げられた。

ドイツがソ連に侵攻すると、すぐさま日本は南部仏印に進駐し、アメリカに石油の禁輸を食らっているが、これはおそらく確信行為でやったことだろう。ここから開戦までの4か月は、交渉により和平を探っていたというより、開戦準備への時間稼ぎであったというほうが当たっている(東南アジアへの進攻開始時期は季節も考慮するので)。そもそも無血進駐だった南部仏印進駐は「英霊のために引けん」という理由もないはずだったのに、日本は南部仏印撤退というカードすら切るつもりはなかったのだから、交渉の気など最初からなかったとしか思えない。南部仏印進駐が実質上の対米宣戦布告だったのだ。戦後、旧軍人たちは「南部仏印進駐でアメリカが石油禁輸をしてくるとは思わなかった」とよく言っているが、これは開戦の責任逃れのすっとぼけであろう。1年前の北部仏印進駐のときアメリカから、屑鉄と工作機械の輸出を止められ、それ以上進むならさらなる経済制裁を行うと忠告までされていたのだ。英領マレーが射程に入る南部仏印にまで駒を進めればもっと決定的な経済制裁をくらうのはわかりきったことであった。

しかし以上3つの「状況的」理由より、日本が軍国主義に染まったという「内的」理由のほうがより分析されなくてはならないだろう。もし当時「戦争を避けるためにとにかく南部仏印からは手を引くことにしてアメリカと話し合いを行おう」などとのたまう文官の首相がいたら間違いなく暗殺されていただろう。すでに中国への侵略は開始されていたし、それ以前、軍部暴走の内向きバージョンである五・一五事件二・二六事件で、そういうことを言える者が首相にはなれない国になっていた。最終的に陸軍大臣である東条英機が首相を兼ね、開戦となったことは、ご存じのとおりである。

つまりは、なぜアメリカと戦争したかというと、領土拡大のまたとなきチャンスに目がくらんだ軍国主義者が、総力戦研究所の勝てないという予測を嬉々として踏みつぶし、世界戦争祭(不謹慎な言葉だが)に日本を飛びこませたということだろう。

どうして日本は軍部が力を持つ社会になってしまったのか。

いわゆる悪名高き統帥権の独立——すなわち日本の軍隊は天皇の軍隊と憲法で規定され、内閣からは独立していたこともまずかったのだが、もっと大きな理由があった。それは、大正時代まで日本を(もちろん軍も含め)真に治めてきた元老が、昭和になってからは公家出身の西園寺公望だけになってしまったことだ。これで軍部は誰のコントロールも受けず自らの本質、すなわち暴力の論理で動くものと化し、それが日本を支配してしまったのである

徳川幕府などはかつてアメリカと戦うことを避けたのだから、日本に強大な敵との戦いを避ける思考回路がなかったわけではない。しかし最終的には攘夷感情のほうが上回っったのだった。西園寺以外の元老たちといえば、皆、薩長出身者で、かつて英米仏と下関戦争、および薩英戦争で戦った元武士たちである。いわばその攘夷感情が彼らの作った近代日本軍に受け継がれたのだ。

中でもそれを体現したのは、軍のトップではなく中堅エリート幹部たちであった。明治維新にしても同じくらいの歳の人間によって行われたものである。戦争や革命というものは本質的に若い力でなされる。ドイツのソ連侵攻にもっとも感化されたのもここらの連中だろう。太平洋戦争開戦当時は、大臣、おじいちゃんたちももはやそれに従うだけの社会となっていた。(おじいちゃんたちだけを見てれば、よく言われる、誰も責任をとりたくないのと開戦するのが気分的に一番楽だからという理由で開戦したように思えるだろう。しかし好戦的な意志がなければあれほど緒戦、積極的に日本軍が動くことなどありえないことである)

しかも中堅エリートはトップではないので、責任感に縛られることなくかえって好き勝手なことができた。加えて彼らは、誰と誰が固定的な首謀者というのでなく、代替わりする存在であったので(満州事変の首謀者石原莞爾中佐も、将官になったときには日中戦争に反対した)余計に責任の所在がわからなくなり、軍部の暴走はいたずらに加速するばかりとなった。

このような武力攘夷主義者が出現する基盤が日本には元からあった。長く武士が統治する国であったし、何より島国で長く鎖国してき、外国を排除したがる傾向が他国よりも強かった。そんな中で、巨大な欧米船がわがもの顔に通航する関門海峡、それを擁していた外様の長州藩は、攘夷の感情が特に増幅しやすかった。これは薩摩も肥前も土佐も少なからず同じで、ペリーが来る直前、秋田藩から強力な国粋的国学者平田篤胤佐藤信淵が現われたのも、当時、ロシア船が東北日本海側によくあらわれていたからであった。

また危険な戦争を押しとどめようとする力、すなわち武力至上主義を抑える国家的理性の発達が、日本においては軍部、右翼などの暴力によってつぶされ続けていた。近代日本という自動車はアクセルだけが発達し、ブレーキが備わっていなかったのだ。

そして一般国民は国民で、これは今だにそうだが、受け身の伝統が身につきすぎていた。国民全員に同じ行動をとらせることができれば国は統治がしやすいわけだが、孤立的な島国はそれがいとも容易である。日本は支配者によって一元化がしやすい国なのだ。多くの日本国民はやがて、軍に支配され、軍に忖度することが身についてしまった近代マスメディアによって「神国不敗」「鬼畜米英」と情報操作され、新しき攘夷論、自国万歳論のほうに一律、押し流されてしまった。そして近代総力戦であったから、これはドイツもそうだが、総力戦の論理に従い、行きつくところまで行ってしまったのであった。

先の戦争により日本人は戦争の恐ろしさを十分に知ったといえるが、一律に押し流されること、そしてすぐに自国万歳論に傾くという一元化特性のほうは、現在もなくなったとはいえない。その証拠は今もわれわれのまわりにふんだんにある。

天皇は今も昔も権力者のためにある

なぜ日本はものごとを変えることができないのか。なぜ、変えるのが苦手であり、変えたとしても遅いのだろうか。直接的な理由は簡単だ。ものごとを変える指示を下すべきトップリーダーなる者がいないからである。

なぜトップリーダーがいないのか。それはトップリーダーがいたら困る人たちがいて、彼らがそのような体制が成立するのを終始妨害しているからである。そう、終始だ。あまりに終始やっているので、それがトップリーダーが現われないようにする策略だとは誰も気づかないほどである。

トップリーダーがあらわれたら困る人たちというのは、省庁、企業業界ふくめた各種団体である。各種団体は既得権益を持っている。真のトップリーダーがあらわれたら、「この団体はもう時代的に要らない」と言って整理するかもしれない。各種団体が何かしようとしたら「そんなことは国民の利益にならない」といってやめさせるかもしれない。「大阪万博は中止」「リニアも中止」「NHKスクランブル化」とか言い出すかもしれない。彼らはそれを恐れるのである。

ただ各種団体ばかりが利益をあげて国民に還元しないでいたら、国民が怒りだし、トップリーダーを求める声が出てくるかもしれない。なので各種団体も、国民を飢えさせないようにくらいは利益を配分している。もっともこの配分もだんだんしみったれてきているが。

しかし、このほかに、もうひとつトップリーダーがあらわれる体制にならないように各種団体が大々的にやっていることがある。

それは天皇崇拝の啓蒙だ。天皇こそ日本のトップ(さすがにリーダーという言葉はつかない)としておけば、国民投票による大統領制などが出現することはないだろうからである。だから、彼らは天皇尊いものだとしてそれを強調する。天皇は日本の象徴、天皇なくして日本なしというふうに国民を洗脳する。強要する。これらは強要だから、暴力をふるいたい人間とも相性がいいのはご存じのとおりである。そうして各種団体のおこぼれにあずかりたがる人も、進んで天皇崇拝の言葉を紡ぎだしたりする。本当に崇拝しているかはもちろん別の話である。加えて「日本は権力を一手に握るトップが不要な国」とか、「和をもって決めるのが日本の伝統的なやり方」とかいった懐柔策的日本人論なども広める。先ほど言った「真のトップリーダーが現われないように終始妨害している」ということはこういったことを指す。

こう書くと天皇をそんなことに利用するとは許せんなどという人もいるかもしれないが、現代における天皇の存在意義はこのことに尽きるというのが本当のところではなかろうか天皇を祭祀王とする説もあるようだが、祭祀なら神官でよく、別に世襲の王家でなくてはならない必要もない。もっとも歴史的に俯瞰しても、天皇自身は支配者ではなく、支配者の利便のために存在させられてきた存在であるのだから、各種団体――というかつまりは現代日本の支配者層――によるこの天皇の扱い方は、伝統的なものといえる。

トップリーダーがいないというのはある意味国民にとっても楽な面はある。投票に行くという手間のみならず、国民ひとりひとりが常にその統治体制の真っただ中にいて自らが政治に参加する状態にいなければならないというのはなかなか面倒くさい。民主政治であった古代ギリシアでは、労働は奴隷にさせていたが、市民は市民で統治と国防に義務があり、これはこれで大変なものであった。統治義務を果たさなくても社会がうまく回転するのであればそれでいいじゃんと考えてしまうのも当然ではある。しかしそうなってしまうと、冒頭のとおりの状態となってしまうのだ。すなわち「日本人はものごとを変えることができない」、「変えたとしてもやたら遅い」と。

ならばやはりこのままで本当にいいのかという疑問は残る。社会、世界の変化が大きく速くなっていく現代、ものごとを変えることができない国が、臨機応変に対応できる国に抜かれていくというのは当然というものだからであり、その弊害はすでに出ているからである。それがどこかで命取りにならないとも限らないからである。

特攻はなぜ行われたか~総力戦の論理と日本人

長い歴史の中で日本人が行ったもっとも恐ろしい行為は、特攻であろう。切腹も恐ろしいが、これは基本的に武士階級に限られた慣習で、かつ自主的にやるものであった。しかも太平洋戦争敗戦時はともかく、腹を切るという行為は歴史的にどれほど行われてきたかは疑問視されており、江戸時代に刑罰として用いられた切腹は、短刀の代わりである扇に手を伸ばそうとしたときに介錯されるというのが通例であったという。それに比べて特攻は、わずか80年前、世界が見ている前で、あからさまに行われたものである。人は追いつめられたところでその本質をもっともあらわにする。特攻こそ、日本人が行ったもっとも恐ろしい行為であるだけでなく、日本人の本質、というか「日本なるもの」の本質がもっともあからさまになったものと言えないだろうか。

特攻とは何だったのだろうか? 

それは単純に新戦法、新兵器だったのだと言えないこともない。事実、特攻の登場経緯はつぎのようなものであった。

緒戦、アメリカは孤立主義もあり戦争の準備をそれほどしていなかったため、十分な準備をしていた日本に対し防戦一方となったが、2年後には、その技術力、工業力をフル稼働させ、質量ともに圧倒的な新兵備を日本の前に並べてきた。そんな日米双方が、持てる力、技術力、工業力、戦闘力を100%出し合って行われた一大決戦が、開戦2年半目のマリアナ沖海戦であった。太平洋戦争では、真珠湾攻撃ミッドウェイ海戦レイテ沖海戦が有名だが、ほんとうに天王山の決戦となったのはこのマリアナ沖海戦である。マリアナ諸島は、それを奪われたら、アメリカの新兵器B29の射程に日本全土が入るために(B29の情報はかなり早くから察知されていた)絶対国防圏と設定されていた場所でもあった。

しかし、アメリカのレーダーを使ったシステム戦闘術、近接信管を使った対空砲火などの新兵器の前に日本軍は完敗した。同盟国のドイツなどは、部分的に英米を超える技術力を持っていたため、ロケットミサイル、自動追尾魚雷、ジェット戦闘機など新兵器を投入して戦えたが、開戦後の日本はアメリカを凌駕できる兵器はひとつも作れなかったのである。マリアナ沖海戦はそれが証明された戦いでもあった。

日本は追いつめられた。そこで考え出されたのが、人間を使った目標指向装置つき爆弾、つまり特攻であった。

特攻は兵器、戦術としてだけで考えるなら、ある程度有効であった。この頃になると、日本軍パイロットはベテランが戦死して技量が下がっていたが、新米パイロットがおこなうなら通常の爆弾投下より特攻のほうが命中率はずっとよかった。特に初期は、相手の不意を打てたことと、優秀なパイロットを投入したのでかなりの戦果をあげることができた。しかしこの最初の成功に調子づいたのがまずかった。戦争の始まりのとき連勝したので調子づき、結果、後戻りしにくくなったのと同じである。そう、特攻は対米戦争の縮図を描いているのだ。逆に言えば、対米戦争自体が特攻であった。

しかし特攻の問題は兵器としての有効性の是非にあるのではない。人の命が最初から犠牲にされる戦法がどうして是とされていったかにある。

まず指を屈せねばならないのは、今さら言うまでもない全体性へ個を埋没させる日本の「伝統」であろう。この傾向が容易に、生命軽視につながってしまうことについては今さら説明することもない。

そんな気質的要因以外に、状況の論理という外的要因もあった。それは絶対国防圏を突破されたのに、戦争を続けたことに見てとれる。上述の通り、敗北必至となったマリアナでやめていたら特攻はなかったのだから

そこでやめられなかったのは、おそらくこれはドイツも同じだと思われるが、近代総力戦固有の論理性のためだったと思われる。もし「軍隊というものは国民の財産と生命を守るためにある」というコンセンサスが当時の日本人にあったら、マリアナ沖海戦の時点での降伏もありえただろう。しかし軍隊、なかんずく近代軍隊というのは、国民ではなく、国家を守るためにあるものなのである。これは日本にかぎらない。漫画や映画では国民を守るように描かれていることが多いが。

特に総力戦という戦争の規模が大きくなればなるほど、国民という具体物でなく、もっとシンボライズされた抽象物1点に、軍隊の守るべきものは集中化させられていく。その抽象物が国家であり、日本の場合、天皇であった。つまり国家の敗北という抽象的敗北を防ぐ。これが日本軍の最終目標であった。だから余力ある限り「負けました」とは絶対に言えなかった。これが総力戦でなかったら、もう少しかんたんにやめれていただろう。アメリカがベトナム戦争で勝利をつかめないままやめれたのは、それがアメリカにとっての総力戦ではなかったからだ。

負けましたといえない――ここに近代総力戦の恐ろしさがある。総力戦は文字通り、「全部」を賭けるのだから、引き出されるべき答は、"All or Nothing"になってしまうのだ。これに比べると、よく言われる軍上層部が負けた責任をとることをできるだけ先延ばしにしようとしたなどという理由は表層的なものにすぎない。

そして「負けましたとは言えない」は、たやすく「戦い続けている限り負けはない」に移行する。実際、戦争中「負ける」は、軍は元より一般国民のあいだでも、絶対の禁句であった。軍部にも、もうこの戦争は終わらせなければならないと考えた人間はいたが、彼らにしても「講和を目指す」という言葉を使い、「降伏する」とは決して言わなかった。今だって敗戦とは言わず終戦と言っているのだから渦中においては推して知るべし。これではどうしようもない。戦争はつづく。ボロボロになるまでつづく。ドイツは首都攻防戦までやり、日本は原爆を落とされるまでつづけた。

神風特攻隊の指揮官・大西瀧次郎中将は最初の特攻が成功したとき「これでなんとかなる」とつぶやいたという。何がなんとかなるのだろうか。1機の飛行機で1隻の空母を使用不能にできる。1人のパイロットの命で多数の敵兵の命を奪える。だからこれからは平等以上に戦えるという意味だったのだろうか。そうではあるまい。飛行機にもパイロットにも限りがあるし、これからは迎撃も強化されるだろう。実際特攻はあとほど成功しなくなった。そのくらいのことは当然予測できたたはずだ。そうではなくて、実はそれは「これで日本人全員が負けましたとは決して言わないだろう道がひらけた。つまりこれで日本の負けはなんとかなくすように持っていける」という意味ではなかったのか? 

特攻が行われたのは、行きつくところまで行かなければ終わらない近代総力戦というものにおいて追いつめられたとき、有効な抗戦兵器として自爆攻撃しかくり出せず、それを追いつめられた時に出る本性、日本人の個滅却=生命軽視という傾向性が是としてしまったためであったからといえよう。主要因は、①総力戦の論理、②技術力の拙劣、③日本人の気質、の3点である。もっとも決定的なものが③であったことは言うまでもない。

しかしいまだ日本では、どこまで本気なのか、特攻隊を崇高なものとし、まるでいつからはそれに続けとでも言う含みのある言葉が聞かれることがある。しかし、特攻はやはり悲惨なのだ。個が抑圧されることも悲惨なのだ。悲惨でないなら、彼らは国を守るというしたいことをして死んだ、したいことができてよかったねで終わりでいいではないか。それで終わらせない、終わらせられないのは、それが実は個人にとって悲惨な行為だからなのだ。そしてそのように誰か個人が悲惨になった分、別の誰かが得をするのである。精神的な意味も含めて、その「得」をえるためにいまだそういうことをいう人間がいるのだ。私は「全体性へ個を埋没させる日本人の気質」と言ったが、この気質はこういう操作と押しつけによってできあがるのが事実であろう。

近代総力戦の悲惨さを学び、また核の時代にもなったがために、先進国間の近代総力戦はもう起こらないと思いたいが、特攻を生んだ日本の気質のほうはいまだ変わってない。また日本人は何らかのかたちで追いつめられたとき、生命軽視の恐ろしいことをしでかさないとも限らないのである。否、昨今の過労死、過労自殺、そしてひっきりなしにニュースとなる列車への飛び込み自殺などが、それではないのか。

ミッドウェイ海戦1番の敗因~鎖国引きこもりのツケ

大敗北を喫したミッドウェイ海戦の敗因については複数の原因があげられているが、その1番根本のものは何だったのだろうか? 私がこれを気にするのは、ミッドウェイの大敗にこそ日本人の1番の弱点、少なくとも外の世界と相対したときの最大の弱点が出たと直感するからである。

暗号、つまり作戦を読まれていたことではないのは確かだ。なぜなら事前の図上演習においてミッドウェイ島奇襲中に米空母が出現し(つまり奇襲が読まれて)、2隻の日本空母が撃沈されるという結果が出ており、ゆえにそのための対策もとっていたからである。つまり作戦当日、索敵機を東方向の海域に飛ばし、第2次攻撃隊は対艦兵備で待機させていた。しかし2正面戦闘になった場合の具体シミュレーションまではしていなかったため、日本の空母部隊は第2次攻撃隊を懐にかかえたまま、防戦一方のなかに壊滅した。これならば敗因は「暗号を解読されていたから」ではなく「暗号を解読されていたときの(つまり米空母に待ち伏せされたときの)対処方法がおざなりだった」というほうが正しかろう。

とはいったものの、本当におざなりだったと言えるだろうか。結果として1番まずかったのは、島と空母という2種の敵との2正面戦闘――具体的には、ミッドウェイ島を空襲した第1次攻撃隊の収容と、敵空母発見が同時になってしまい、そのため敵空母攻撃のために待機していた第2次攻撃隊を出せず、艦内に攻撃隊という爆発物を抱えるかたちで敵の攻撃を受けつづけることになってしまったことにあるわけだが、そのようなことを避けるために「引いた」事前シミュレーションなどできたかといえば、あの時点では無理だったと思う。空母同士の対決は1か月前の珊瑚海海戦に続いてまだ史上2度目のことで(南雲部隊としては初めてだった)、しかも日本の空母機動部隊は開戦以来一方的な攻勢を続けてきていたのだから、「引いて」の事前シミュレーションなど思いもよらぬことであったろう。思いもよらぬのならどうしようもない。そもそもミッドウェイ作戦はかなり強行的におこなわれたものである。強行するのだから、引いた考えなどしないのもまた道理である。

となると「強行」したこと自体が間違いであったというしかない。実際、上記の図上演習の結果からもやるべきではないという意見は出されていたのである。しかしその意見は吟味されることなかった。索敵機を出すことと、第2次攻撃隊の対艦装備での待機だけでよしということにされたのである。

かといって海軍は、よく言われるように緒戦連勝で図に乗っていたためにミッドウェイ作戦を強行したのでもなかった。やらねばならない心理的な理由があったからだ。

それは1か月半前、米空母にまさかの本土空襲をゆるしてしまったことにある。それはまさに、まさかであった。開戦以来こっちが一方的に押しまくっていたのに、突如、ブラインドサイドからの奇襲! 国民は海軍に不信の目を向ける。陸軍は怒るか嘲笑うか。そこで海軍は「米空母をすぐに殲滅しなくてはならない!」と色めきだってしまったのだ。日本人の性格と、アメリカの力の見立てからすれば、「怒った」というより「動揺した」というほうが当たっているように思うが。ともあれそれで、見送っていたミッドウェイ作戦の実施を「急遽」決めた。ミッドウェイ島を攻略するなら霧の出ない6月がよく、それがすぐだというのもあった。

この作戦は危険――なのに、すぐにやらなければという焦りによって動いていく状況。いよいよまずい。しかも上記の通り、一方的攻勢を続けていたがゆえの「引いて」考えることのできなさ、また一目散に陸軍も巻き込んでの海軍艦艇総出動でミッドウェイ島攻略準備をはじめたために、もはやバタバタの状態で、こまかいところまでチェックできない状態になってもいた。さらに日本の空母機動部隊は開戦以来ほとんど休まず西に東にと戦ってきて疲労がたまってもいた。

このあわただしさの中である心理が生まれたのだ。すなわち「今度もきっとうまくいくさ」という楽観論への傾斜である。希望が予測にとって代わる。よくある話だ。今度も奇襲は成功するだろう。敵空母はまず出てくるまい。出てきたとしても対策は打っている。何も問題なし! 

外の条件を切り捨て、自己都合だけの解釈に走った。ここらトップの無茶な思いつきに批判が許されない日本の慣習にも原因があろう。米のニミッツ大将も珊瑚海海戦で大破した空母を3日で修理してミッドウェイに間に合わせよと強引な命令を出したが、これは命令が明確な点で次元がちがう話である。

ともあれ、ミッドウェイ作戦は大きなリスクが内包された作戦であったのであり、それを「強行」したのが間違いだった。しかし実は日本海軍は、真珠湾攻撃自体がそうだが、開戦以来ずっと奇襲する、強行する、攻め続ける、この一点張りで来ていたのである。ならば、日本海軍の「とにかく攻めて攻めて攻め続ける」という攻撃至上主義の姿勢にミッドウェイ作戦強行の理由、つまりその敗因の根本があったと言わざるを得ない。攻撃至上主義だったからこそ本土空襲に動転し、ミッドウェイ作戦というさらなる前進攻撃を企図した。攻撃至上主義だったからこそ空母機動部隊の守り、弱点への配慮もゆるがせにしていた。すなわち空母はすぐ炎上するゆえ攻撃隊はすぐに発進させる必要がある、脆弱である空母を集中させているのは一網打尽にされるゆえきわめて危険であることなど危険要素の研究をおろそかにしていた。

日本海軍は真珠湾以来、攻め続けることしか考えておらず、奇襲なるものは常に危険もともなうもの、つまりバクチであるということを自覚してなかったというほかはない。奇襲大成功の筆頭たる真珠湾攻撃などもじっさいには2正面戦闘になる危険性があったものであり、やはり事前に反対意見が出ていたものである。

なのに真珠湾攻撃は成功し、ミッドウェイは大敗北となった。なぜか? かんたんな話だ。つまり、1回目のバクチ(戦いではなくバクチ)には勝ち、2回目のバクチには負けた。それだけの話である。幸運と不運はこれでイーブン。サイコロの目の出る確率はいずれすべて1/6に落ち着く。神様は平等な采配をしたにすぎないわけで、つまりミッドウェイ作戦は日本海軍の大バクチが、とうとう失敗を迎えたにすぎないものだったといえるのである。バクチは続けている限り、いつかは失敗する。あとの細かい理由はすべて副次的なものでしかない。成功したミッドウェイ作戦が真珠湾攻撃で、失敗した真珠湾攻撃がミッドウェイ作戦なのだ

ではなぜ日本は大きな賭け、負けたときには大損害をこうむるバクチ作戦を続けた、攻め続けてばかりいたのだろうか? 

よく言われている早期講和狙いのためであったとは思えない。早期講和狙いは当初案として出、また、戦争をやりたくてしょうがない連中の方便としては使われていたものの、いざ実際に開戦すると、長期戦になるとのコンセンサスで陸軍も海軍もほぼかたまっており、早期講和(早い話がアメリカの早期降伏である)などという都合のいいことを信じている者は誰もいなかった。早期講和論の中心人物と目されていてる連合艦隊司令長官山本五十六でさえ、開戦すると「この戦は未曾有の大戦にしていろいろ曲折もあるべく」と長期戦の決意をしたためているのである。

日本の本命であった南方の資源地帯占領のために、もっとも邪魔な米の太平洋艦隊を殲滅するためであったとも考えられない。なぜならハワイは東南アジアから遠すぎて邪魔になどなってないからだ。実際、アメリカが真珠湾攻撃にまったく無防備だったのは、ハワイは日本の南進(それが日本の本命であることはアメリカも分かっていた)の邪魔になどなってないとアメリカ自身が考えていたからである。実際、米空母は真珠湾攻撃を避けれて無傷だったわけだが、開戦したのちも日本の南進の邪魔はほとんどできていない。せいぜいラバウルを空襲したくらいで、ずっとハワイの近くを守っていたのである。空母同士の対決が生起したのは珊瑚海まで日本軍が進撃しきってからのことであった。

すなわち日本が真珠湾攻撃をした理由は、ただ単純に、緒戦不意打ちの大奇襲で敵を漸減できれば美味しい、痛快と考えたからにすぎない。つまりここでも浮き彫りになるのは、攻撃のための攻撃、ひたすらの攻撃至上主義である

私はさんざんバクチという言葉を使ってきたが、真珠湾にしてもミッドウェイにしてもバクチであって賭けではなかった。賭けとは熟慮の末、最後に飛躍して「賭ける!」と決断するものだ。真珠湾にしてもミッドウェイにしても「これは賭けになるが、われわれの最終目標を達成するにはこれしかない。だからイチかバチかやってみよう!」という感がない。危険要素に対して盲目状態のまま、ただひたすら前に出て相手を殲滅する、そのことしか頭になかったとしか思えないのだ。賭けではなくバクチであったという所以である。

ならば、これはもう合理的な理由を探し求めても仕方がなく、戦争だから突撃したという説明に落ち着くしかないのではあるまいか。、強大な敵であったからこそなおのこと突撃を繰り返したというのもあるかもしれない。そもそも対米戦争自体がバクチであり、思考停止の突撃ではなかったか?

そうならば日本はたしかに12歳であったというしかないだろう。当時の日本にはその原始的欲望を抑制する国民的理性も欠けていたのだから。長く武家政権、武力による支配を続けてきたので、欧米からは近代軍備を学ぶことだけに執心してしまい、理性を国家システムに組み込むことに関しておぼつくことがなかった。それは武力支配主義者たちによるたび重なる暗殺行為、検挙、恐喝で阻止されてきた。

「鬼畜米英」と叫ぶほどまでに英米を憎んだのも、結局は幕末時と同じく、またも欧米が日本の自由を奪おうとしたからである。日本は長い鎖国により外国の言いなりになるのは極端に嫌う国にもなっていたゆえに攘夷感情も強くならざるを得ないという運命を抱え込んでいた。いわば、日本は長き自閉による歪み、外部世界とのつきあいに背を向けていた引きこもりによる未熟のツケをいっぺんに対米戦争で払わされたといえるのである。

そのツケの第1回支払いがミッドウェイ海戦なのであった。上述したが、この海戦において日本海軍は敵がどう出るかを考えず、自分たちはうまくいくとほとんどアプリオリに思いこんでいた節がある。こんなことでは、50年間対外戦争にあけくれた近代日本は、力をつけたので、とうとう頭をおさえつけてきた番長相手に大喧嘩をはじめた子供と同じであったといわれてもしかたがあるまい。

日本の近代史の根元となったこと、つまり、俺たちゃ外国とはつきあわないよというのが勝手な行動になるのか、それとも無理やり開国させ、不平等条約を押しつけてくるほうが悪いのか、それは今は論じない。ただ言えるのは、閉じこもってしまうと、どうしても外交オンチになる、外とうまくつきあえなくなる、自分の気持ちや内側ばかりを重視して、外部の条件を無視しがちになる、ゆえにひいてはミッドウェイのようなミスをも犯してしまうことにもなるということである。

やはりこれは日本人の外に向いた時の1番の弱点ではなかろうか。

 

栗田ターンはまちがっていない~日本人の誹謗中傷癖

ネットにおける有名人への誹謗中傷が問題になっているようだが、ミリタリーオタクのあいだでは、別にひどいことをしたわけでもないのに、いまだ誹謗中傷されつづけている旧帝国軍人がいる。1944年のレイテ沖海戦において、レイテ湾突入前に突如Uターン(俗に栗田ターンなどとも言われる)して引き返した栗田艦隊の栗田提督だ。私はこの栗田の判断は致し方ないことだったと思う。なのにまるでバッシングする好餌と言わんばかりに非難され続けている。ここら現代日本人の誹謗中傷好きとも大いに共通点があると思うのでひとこと言わせていただきたいと思う。

まずなぜ、私が栗田の判断が致し方ないものだったかということをご説明しよう。レイテ沖海戦における作戦は、同じく大敗を喫したミッドウェイ海戦同様、目的がはっきりしていなかったからである。つまり「連合艦隊は総力を挙げてレイテ島に上陸した敵を撃滅せよ!」――これが発された命令であったわけだが、敵はもう5日も前に上陸しちゃったあとなのである。もう軍艦にできることは上陸部隊の護衛艦隊と戦うことしかなかった。なのに「連合艦隊はレイテ島に上陸した敵(つまり陸上部隊)を撃滅せよ!」――無茶を言っている。

なぜ作戦目的が無茶なものになったのか。それはもう戦いによる実質効果として目指せるところなどなくなってしまっていたからだ。マリアナ沖海戦に大敗した日本はついに「絶対国防圏」を突破された。空母部隊は壊滅し、日本本土が長距離爆撃機B29の射程に入れられた。もう戦争の趨勢は決した。なのにまだ戦争を継続しようとした。つまりこのレイテ沖海戦での日本海軍の本音は、作戦という名にかこつけて「海軍の残存軍艦は戦って美しく散ってこい」というものでしかなかったのである。事実、航空機による特攻が開始されたのもこのレイテ沖海戦からのことだ。しかし水上艦隊にははっきりと「死んで来い」とは言わなかった。ここでもう作戦というか「何をやるのか」が破綻している。

そんな作戦のための作戦だから、そのシナリオはきわめて観念的なものとなった。残った空母を囮として(もう空母の離着艦のできるベテランパイロットはほとんどいなくなっていた)敵艦隊の主力を北にひきつけ、その隙に東と南の2方向からレイテ湾に戦艦、巡洋艦を突入させる――タイミングのとり方が難しすぎる作戦である。海軍大学校で成績のよかったエリート参謀が学校で学んだ作戦理論を駆使し、頭の中だけで組み立てた作戦といった感がありありで、ミッドウェイよりさらに自己完結的な作戦になっている。マリアナ沖海戦のアウトレンジ作戦もそうだが、日本海軍のここぞのときの作戦は子供がゲームをやってるような非現実的な作戦が多い。

そんなものに現実の艦隊は最後までつきあえなかった。東から突入する栗田艦隊は戦艦大和、武蔵を擁し、突入の主力部隊であったわけだが、すでに出撃以来、パラワン水道で重巡3隻(10月23日)、シブヤン海で武蔵(10月24日)、サマール島沖で重巡4隻(10月25日)を失い、かつ、先に南からレイテ湾に突入しようとした西村艦隊は10月25日未明にスリガオ海峡で全滅し(本当は栗田艦隊と同時に突入する予定だった)、それを見て恐れをなした志摩艦隊も「突入を中止する」と打電してきてこれも撤退していた。まだ大和は健在だったが、レイテ湾突入部隊はもう出撃時の半分以下の戦力になっていたのである。

通常、作戦部隊の3割が戦死すれば「全滅」、すなわちもはやその作戦のためにその部隊は機能しないと言われる。栗田艦隊がこの時点で「今回も完全に負けだ。やつらのほうが数段上だ」と判断し、撤退したのはむしろ的確な判断であった(ちなみに実際このときレイテ湾にいた米艦隊の戦力は栗田艦隊のほぼ2倍だった)。これはどこの国の指揮官でもそう判断したと思う。いや、出撃自体を拒否したかもしれない。しかし現在、日本ではこの栗田の行動は、命令違反、怯懦ということで非難され続けている。

これには日本人特有の理由がふたつあると思われる。ひとつは特にミリタリーオタクの視点からなのだが、戦艦大和が敵戦艦との砲撃戦を演じるただ一度の機会を逸したということ。そしてもうひとつ、こちらは日本人一般に関する話だが、日本人は現在も上から無理難題を押しつけられながら生きているので、無理難題を無理難題としてやらずに済ませた栗田、ほかの者が特攻したのに特攻しなかった栗田が許せないということである。撤退する大和の艦内は明るさに満ちていたという。栗田を非難をする人はこのとき大和乗員の一員だったとしても栗田を非難できたというのだろうか? 「でも軍人なんだから」という人は、軍人ということにかこつけてるだけだ。もっとも「日本人男性は軍人」というのは世界中で言われていることだから、いまだ軍人的発想しかできないのかもしれないが。

栗田は戦後、Uターンの理由についてつまびらかに語るのを避けた。本来なら、海軍の中央をまともに批判することになり、また先にUターンした志摩提督をあげつらうことにもなってしまうのだが、上記のように言えばよかったのだ。ところが、自分の意志でものごとを決めてはいけない日本人の悲しさ。敵機動部隊が北に出現したという情報が入ったのでそっちの敵に戦いを挑みに行ったとUターンの『理由』をでっちあげてしまった。これは、レイテ湾突入前に敵艦隊と遭遇したらそちらと戦っていいのかという現場部隊の問いに、軍令部のほうがしどろもどろながらも是と答えたからでもあるのだが、あきらかに敵が北に現れたというのはウソである。Uターンそのものより、このウソをついたことのほうが誹謗を招く結果となったといえると思うが、しかしそのようなウソをでっちあげないと、まともな行動がとれない国なのだから仕方がないというものではあるまいか。真実・本音を言うその道をあらかじめふさいでおくことこそ卑怯であり、そういうふさがりがデフォルトになってる文化性こそ問題ではないのか。

もっとも抑圧を発散させんとしている人間には何を言ってもムダなので、これからも栗田提督は悪口を言われつづけるのだろう。そして今日、有名人に対する誹謗中傷がなくならない理由も結局同じだと思う。自分が国や学校や企業といった権力にいじめられ抑圧されすぎていて、しかもそれらに逆らう度胸はないので、自分たちが我慢していることをやってしまった人間を徹底的にいじめるという方向でしか、それを発散するすべがないのだ。

日本人が寛容でないのもすべてはこういうところに理由があるのではないか。

熊を悪者にするニュースが増えたわけ~太陽ソーラー拡大の利権

最近妙に野生動物による被害、なかんずく熊による被害のニュースが多い。しかしこれは実は、山間の太陽ソーラー設置拡大のための布石なのではないだろうか? というのは、今、日本の山間のあちこちに見られる太陽ソーラーは森をつぶしてできたものである。つまり野生動物の生息場所を削って設置したものである。このあちこちにできる太陽ソーラーに対し、自然保護団体が反対運動に出ていて、なかんずく熊を保護する団体が強く反対しているらしいのだ。だから太陽ソーラーに利権を持つ側は、マスコミを利用して、「熊など駆除すべき害獣、恐ろしい獣」というニュースを流すことにより、最大の障壁である熊の保護団体の主張を骨抜きにすると同時に、国民に熊が住処をうしなったところで可哀そうなんて思わせないようにし、のうのうと森を切り開いて、自分たちの有利なように持っていこうとしているのではないかという話である。

確かにどこであろうと熊に会えば危険なことは間違いない。そのことを常時、喚起しておくことは必要なことであろう。また人間の生活区域にやってくるようなら場合によっては殺処分もやむないことだろう。しかし下の記事など見たら、必要以上に熊を残酷な何の慈悲もかけなくていい恐ろしい怪物だと喧伝しているとしか思えない

クマの群れに「片耳ちぎられ、生きたまま皮を剝がされた男」の残酷死、その一部始終…農作物被害は年間5億!(MINKABU 2023年5月15日)

ヒグマは首から下を谷川に沈めて息をひそめ…「朱鞠内湖人喰い熊事件」現場付近で起きた「温根別仔連れ人喰い熊事件」の全貌(現代ビジネス 2023年5月18日)

そもそも人間こそ動物の皮を剝いできた圧倒的な歴史があるのに何だこの言い草は。加えて、上の記事はわざわざ「プーチンも熊が大好き」などと言っているのだから、熊を絶対的な悪役にしようとすることを第一の目標にしているとしか思えない。下の記事はヒグマがこちらを向けて大口をあけている写真を併載している。そして上の記事は「MINKABU」で、下のは「現代ビジネス」のものなのだ。どちらも経済推進関連メディア。これを偶然と見るべきだろうか?

少子化の1番の原因は「好きでもない相手と結婚したくない」

今さらだが「異次元の少子化対策」って言葉にコーヒー噴いたのは私だけではあるまい。マンガのタイトルか。内容も妙。現在の少子化の1番の直接的原因は「非婚化」なのである。なるほど「子供の養育費をさしあげます」は的はずれという意味で「異次元の」対策かもしれない。

その非婚化だが、そうなったのは、「好きでもない相手と結婚したくない」という考えが当たり前になったからだと私は思う。つまり個の時代、個人の主張、好き嫌いが通る時代になったからだ。

正直、私でさえ、私より年上世代の「親の見つけてきた相手と結婚するのが普通」という話には子供の時からずっと驚かされてきた。いや、この「親の見つけてきた相手と結婚する」というのは今でもなくなってはいないのである。だから少子化はこれからまだまだ進行するはずである。もうこの「好きでもない相手と結婚したくない」は止められまい。結婚率と、野球人気、そして本の売れ行きは今までが良すぎたのである。

そもそも日本特有の、なんとか48か、47都道府県か知らないが、若者アイドル文化とか、アニメマンガ文化といった「結婚したくなるような」美女、美少女文化(もちろん美男文化もあり)、疑似恋愛文化、つまり性の文化を、クールジャパンとかいって悦に入って政府やNHKが率先して盛り上げているようでは(NHKは若者をNHKに向けさせるためにやってるようだが)、少子化対策などまさに笑止というものである。結婚もまた性の話であり、アイドル、オタク文化と同列にある、同次元で論じることが可能なものだからだ。

またその結果として、美男美女、高収入、高学歴という希少価値のものを景品(結婚相手の基準)として競争する社会に日本はなってしまっている。これだと勝ち組とやらは必然的に少数派になるから、いよいよ少婚化、つまり非婚化、少子化は仕方がない。競争社会は不可避的に少子化になるのだ。

日本より競争社会である韓国は日本より少子化及びルッキズムが進んでいる。また芸能人が妊娠・出産したらすぐニュースにするのも少子化対策のつもりなんだろうが、あれは勝ち組の勝ちを見せつけてるだけで、競争促進ならともかく少子化対策としては逆効果だと思う。

上級国民の人たちはみんな近視眼なのでこういった作用、反作用に自覚がない。上級国民というのは「好きでもない相手と結婚」してでも家系を残す、あるいは出世のために結婚すると思っている人たちばかりなので、少子化の根本原因などまったく死角になっているのだろう。だから有効な対策案が何も打てないのである。

そもそも個人の問題である結婚・出産に国が介入しようということ自体がナンセンスである。できる対策は「少子化が生む問題」への対策だけであって、「少子化」自体の対策は政府が何をやってもおそらくムダである。