たまきちの「真実はこうだ!」

事件、歴史、国家の真実を追求しております。芸術エッセイの『ある幻想画家の手記』https://gensougaka.hatenablog.com/もやってます。メールはshufuku×kvp.biglobe.ne.jpです(×は@です。迷惑メール防止のため))。

なぜ日本には政治中枢がないのか~この国の政治方針は最初から決まっている

よく言われることだが、なぜ日本には政治の中枢がないのだろうか? 日本では首相は首相という役柄を演じているにすぎない。外国の宰相が日本の首相と約束をとりつけても、それはノーの意味だと皮肉られたこともある。首相に決定権がない証拠である。日本には、権力が最終的に集中された政治の中枢者がいないというのはまちがいない事実だろう。

なぜそうなったのか? 

歴史をひもといてみると、これは今にはじまったわけではなく、太平洋戦争などは、政治中枢がないゆえに、冷静な判断ができず、勝てる見こみのない相手との戦争に突入したのであった。当時の内閣は軍部に完全に骨抜きにされており、開戦直前には陸相が首相を兼任した。もちろん軍部を政治中枢とは呼べない。それは近代国家における戦争の専門部署にすぎず、だから軍部支配となったこの国は戦争で物事を解決する国になってしまったのだ。

そんな時代があったわけだが、実は、このときの政治形態が今も続いているのが本当なのである

確かに日本は戦争に負けた。だから軍部は滅びたというか、滅ぼされた。かといって軍部の抱いていた不文律のスローガンは滅びなかったのであった。そのスローガンとは何か。それは「強い日本であること」だ。このスローガンはそのまま戦後も、経済力で強くなることという形で引き継がれた。日本の教育や労働形態がいまだ戦時下の軍隊みたいであるのはそのためだ。そして軍部につづくこのスローガンの担い手は、省庁、特に財務省であった。軍部が戦争屋に過ぎなかったように、財務省も財務担当にすぎないにもかかわらずそうなってしまったのだ。

この「強い日本であること」という不文律のスローガンこそが日本に政治中枢をなくさしめている根本的原因である。国の大方針は「強い日本であること」と決まっているのだから、あらためて舵取り役など必要はないというわけだ。

かつて右翼や軍部の若者が、首相を暗殺してきたのも、「強い日本であること」という方針を定着させるためであった。彼らにとって他の方向に舵を切りかねない宰相など邪魔者以外の何者でもなかった。また現代は現代で、各種団体は既得権益を保持し続けるために、真の舵取り役はいてほしくないと思っている。だからそういうものが出てこないように、そういうものを発生させる土台たる国民たちを拘束し続けている。サービス残業の強制なども生産性アップのためというよりそっちが本当の理由だろう。大会社の社員さんという頭脳が上位クラスの集団に政治意識を持たせないこと。

なぜ日本はそこまで「強い日本であること」に固執し続けるのか? それはかんたんにいえばアメリカに強制開国させられ、二流国の扱いを受けてきた屈辱がいまだ尾を引いているのが大きい。もとはと言えば軍部支配になる前に日本を支配していた明治元勲たち、彼ら自体、その屈辱をそそぐために「強い日本であること」、「強い日本になること」を誓った集団なのであった。彼らが、身分制度を終わらせ、日本を近代国家に改造しようとしたのは、何よりもそのためであった。欧米列強に負けない国になるために。

しかしそれは彼ら個人の考えた方針であった。明治元勲はもともと下級といえど武士だった。だから戦闘屋でもあると同時に為政者でもあった。そこはのちの軍部とはちがっていた。しかし、彼らには政治の中枢としての限界があった。そのことは、のち明治元勲が元老となり、その元老が1代限りで終わったことからも推察できよう。というより元々、元老は非公式の地位なので、滅びて当たり前だったのだが。ともあれ元老が滅びたあと、残ったのは彼らの抱いた「強い日本であること」というスローガンと、彼らが作った近代組織(もちろん中枢はナシの)だけとなってしまったのであった。あとはこの各近代組織がそれぞれに強力になっていくだけであった。暴走も含めて。

「強い日本であること」は民族の集合意識だったのだという人もいるかもしれない。しかし明治初期には自由民権運動があった。それは、今の政治に無気力な日本人と同民族かと思えるほど盛りあがったものだった。さらに各地でおこった不平士族の反乱も「強い日本であること」に反対した勢力であった。それは武力反乱であったが、「強い日本である」のために日本を近代化するという方針をとった政府への反乱であったからだ。しかしこれらはすべて新政府軍、すなわち明治元勲に鎮圧された。ならば、「強い日本であること」というポリシーの定着は、民族の集合意識などという神秘的な概念を持ち出さなくとも、天下取りし者がその強権で、自分たちのとりたい方向に国を国民ごと持って行ったという至極単純な理由だけで十分な説明となるだろう。

ならばここで考えてみなければならないのは、当時の元勲たちの心理だ。彼らにまちがいなくあった強烈な意識は「日本」という枠である。それはどこの国の人間でも持っている「国」という概念とは少しちがう。もっと強烈な概念だ。なぜなら、「日本」は鎖国などにみられるように、自己完結的な統治形態の伝統が非常に強い国だからだ。それゆえ日本人は、閉じられた自分たちの世界と、その他の世界という、内外二元対立世界観とでも呼ぶべきものを抱いている。これは、鎖国など自分たちだけで閉じているときはいいが、外の世界と接触すると、世界を「日本とその他の世界」という内外二元対立で捉えてしまうものである。この世界観をいだくと、弱肉強食のこの地球上でなんとか生き残っていかなければならないという悲愴な決意が生じる。そしてそのために、「日本」という枠を守ることを何よりも優先しなければいけないという価値観を持つに至る。そうなると当然、国は、日本は「強く」なければならないということになる。

これが「強い日本であること」に固執した明治元勲たちの論理であった。そんな者らが天下をとったので、「強い日本であること」は、最高のスローガンとしてこの国に定着し、のちのちまで引き継がれてしまうことになったのであった。

これの定着は、今もそうだが、やたら「日本」を強調することによってなされた。われらは万世一系万国無比の天皇のしろしめす神国! その名は日本! 日本! 大日本! このかけがえのない「日本」を守る。そのために強い日本であること。あり続けること! みな「日本」のシンボルたる天皇のために死ね! 経済力の翳りが見えてきた今日では、武力、経済力による「日本強い」が、文化的な「日本スゴイ」に変質しているようではあるが、今でも、日本、日本といい続けているところは同じである。こうして「強い日本であること」は日本人の絶対的使命となったのだ。

以上が日本に政治中枢がない理由であろう。政治中枢とは絶対的使命など認めないものである。政治中枢とは、それを相対化し、調整、修正、ときには削除する役割なのが本質だからである。政治中枢は、絶対的使命が君臨しているところでは理の当然として存在しえない。

事実、いまだ多くの日本人が、この世界の中で日本が生き抜いていくには日本は強く、あるいはスゴくあらねばならないと思っている。でなければ「日本スゴイ」番組がこれほどもてはやされるわけもあるまい。もし政治の中枢が誕生して、「もうこんな窮屈な『強い日本であること』なんてスローガンはやめましょう」とでも表明したら(もちろんこのような表現をとるわけではない。もしかしたらそれは、天皇制はもうやめましょうなどというかたちでまず表現されるかもしれない)、多くの日本人が不安におちいるであろう。そんなことをいっても日本を外の世界の脅威から守るために、そんな呑気なことは言っていられんだろと。つまりお決まりの内外二元対立世界観の発動だ。

はっきり言うが日本人はひきこもりの歴史が長かったので内弁慶で気が小さいのである。こわがり。だから何かにすがりたがる。というわけで、あいも変わらずの「強い日本であること」という政治スローガンにしがみつき、それをとりやめかねない政治の中枢などは要らないということになってしまうのである。

これならば、選挙に行ってあらためて政治家を選ぶ必要もない。政治家はその俳優的役割と演じ方が分かっている者が一番いい。多くの人間が選挙に行かないのも、自民党一党独裁なのも、その党が歌舞伎の世界よろしく世襲議員ばかりになっているのも、すべてここに理由があるのだろう。もっともこういうあらかじめ決められた絶対の方針があるなら、選挙結果も本当にちゃんと集計したものなのかはなはだあやしいものであるが。

 

天皇制は廃止した方がいいんじゃないか~公然たる人権蹂躙として

皇位継承問題も取りざたされて久しいが、私は天皇制は廃止したほうがいいんじゃないかと思っている。それは天皇制が無責任体制の温床だとか、税金の無駄使いだからという理由じゃなくて、何をおいても、天皇含め皇室の人たちも人間であるのに、ここまで公然と個人の自由を奪うことは、もはや人権蹂躙だと思うからだ。

そこまである人間の自由を奪って維持する必要など天皇制にあるか? ない。天皇制はもうその役割を終えている。

もともと天皇というのは日本を支配した一族というより、中国唐の脅威に対抗して創作されたものだと思う。中国の皇帝を凌駕せんとする「天皇」という名称自体がそれを物語っている。これはもっと箔をつけるために神の子孫ということにまでされた。しかし日本の実質的支配者はずっと別にいた。藤原氏、源氏、足利氏、徳川氏。彼らは神たる天皇からこの国の政治支配権を授かったということで自らの支配権を正当化してきた。そして近代に入ると明治元勲によって天皇は日本の中心として返り咲き(実質的支配者は元勲、のちは軍部だったわけだが)、みな神たる天皇のためにというタテマエの前に、命を投げ出すことまでさせられてきた。そのように時の権力者が神として仕上げ、そして利用してきたのが天皇だろう。

100歩ゆずって、これまでの天皇がかようなものとして必要だったのだということにしても、今はそれはもうない。現在でも内閣総理大臣などは最終的に天皇が任命することになっているが、それは儀礼的追認にすぎない。

とはいうものの一部の人たちにとって天皇の存在意味はいまだあるようだ。つまり最初に天皇が中国皇帝を上回らんとして存在せしめられたように、「日本には天皇というすごいものがあるんだぞ。世界で一番長くて今もある王朝だぞ」という自慢のタネ、プライド、すなわち精神的支柱となっているということである。自分で「これはスゴいものである」とでっちあげておいて「どうだスゴイだろう」もないもんだと思うが。

日本人には島国であることから生じた内外二元対立世界観とでも呼ぶべき心情があって、昨今の「日本スゴイ」テレビ番組もそうだが、外に対抗できる、あるいは自慢できるものを強く欲する性癖がある。この欲求はかなり切実なもので、情けない話だが、これがないと日本人は自信を持ってこの地球上で生きていけないらしい。実際、「天皇をなくす」というと、天皇崇拝者は怒るだろうし、また多くの人もなんとなく不安になるのではないか。しかしこの切羽詰まった「対外的に誇れるものの必要性」が、天皇家の人々から自由を奪って平気でいられるという不感症を生じさせてしまっているのである。

しかしもうひとつの理由として、日本人自身が自由を奪われているために、人から自由を奪うこともやらずにいられなくなる。それがゆえに、天皇含め自由を奪われている人の苦しみに鈍感になっているというのもあると思われる。最近でいえば皇室女性の結婚相手に口をはさみまくった人らなどその典型だろう。彼、彼女らは、皇室女性が自由な結婚をするなど許せなかったのだ。また国民を支配するために、その自由を奪っておく必要があると考えるトップの上級国民たちは、こういった嫉妬監視のメカニズムを利用する。すなわち自由を奪われている日本人のお手本として天皇はいたほうがよいと考えるのである。これはかなりひどい話ではなかろうか?

天皇は人間ではなく神であるからあのような非人間的あつかいをされているわけで、それを人間あつかいするということは、不可避的に天皇からその神性をも剥奪することになる。だから彼らは天皇に自由を認めるという考えは思いもよらない。天皇はそういうものじゃないと決めてかかっている。だから、今の天皇と呼ばれている人への扱いがひどいものであることも自覚できない。むしろ日本で一番偉い人という扱いをしてるから最高のあつかいをしているのだと思っている。

そりゃなりたい人がなるんだったらいいけどね。天皇には選択肢がない。もちろん老舗の家に生まれて継ぐ運命を背負わされるという人もいるけど、これは私的な話だ。本人が絶対に継がないというなら継がないことだってできるし、国の法もまたそれを止めることができない。また継ぐにしても本人の意志の話になるのでそこに大きな問題はない。ところが天皇の場合、まったく逃げ道がない。しかも公然とそれが強制されるのだ。これはあってはいけないことではなかろうか?

だから私は天皇制は廃止した方がいいと思うのである。

ただ「廃止しろーッ!」とがなり立てるつもりはない。私は宮仕え(サラリーマン含む)もしてないので、結局天皇制の重力圏からは逃れられているからだ。そこまで運動するようなヒマもおせっかい心もない。ただ、一部の人らに、あなたがたのやってることは人権蹂躙じゃないの? それに少しでも気づいていますか? とちょっと注意を促したかったのである。今出されている旧宮家の男児を皇族に復帰させる案にしてもそうだ。今さら一般人になった人をそのように駆り出すなんて、その人の人権を蹂躙しているも同様であるのに、天皇絶対主義者はそこに気づかない。あるいは気づいてもそれよりも天皇の存続のほうが優先事項だという。しかし上でも述べたようにそれは結局、自分優先であり、自分のために同じ「人間」をないがしろにしている行為なのである。

 

真珠湾攻撃、第2次攻撃はしないで正解である

またまた太平洋戦争におけるウソの話だが、今回は真珠湾攻撃において「第2次攻撃をかけて石油タンクを破壊しなかった日本軍はバカ」というのと、「宣戦布告が遅れたのは日本の恥じ。間に合っていればそんな汚名を着ることもなかった」というのがいかに見当違いのものかをご説明したく思う。この2つを並べて批判するのは、どちらもアメリカ人の自己欺瞞に基づいた誤解だからである。

まず「第2次攻撃をかけて石油タンクを破壊しなかった日本軍はバカ」論だが、これは第2次攻撃などかけなくて正解だったのである。理由は大きくは2つで、すなわち、

①タンクの石油がなくなったところですぐにアメリカは本土から持ってこれる。

②第2次攻撃は機体、パイロットとも第1次攻撃の再出撃になる。

からだ。

①のほうは当時真珠湾のタンクに貯蓄されていた石油は70万klであったが、そもそも攻撃をかけたところでこのすべてが失われるとは思えないし、それに失われたところで当時のアメリカの標準タンカーT2は1隻で1.5万klの石油を運べたのだから、あまりアメリカの枷になったとは思えない。ちなみにアメリカはT2タンカーをわずか70日で完成できた。

そして②のほうは、下図を見ていただくとどこがまずいかよく分かっていただけるか分かると思う。

まず第1次攻撃隊が攻撃を終えて次に第2次攻撃隊が攻撃を開始するまで、7時間も敵に体制立て直しの時間を与えるのである。ただでさえ完全な奇襲となった第1波より第2波のほうが日本機の損害も大きかったのだから(日本の空母の飛行甲板は搭載している艦載機の半分しか並べられなかったので、2波に分けざるを得なかった)、疲弊、損傷もある再出撃の第2次攻撃隊では、さらに被害率はあがっていたはずである。

 

次に第2次攻撃隊は帰りが海上の夜間飛行となる上、夜間着艦になるということがある。この作戦において日本艦隊は居所を知られないようにするため、艦隊側からは何も発信することがなかった。だからパイロットは導かれる情報もなく、自力で帰らないといけなかった。これは夜間の海上飛行では相当困難なものである(何もない真っ暗な海の上を飛んでいるところを考えてみていただきたい)。しかも当日はかなりの荒天であった。1日2回、10時間も飛行して戦闘し、疲弊したパイロット、そして荒天の空母への夜間着艦、それがどれだけ難しいものかは多言を要しないだろう。

なお、当然のことながら第1次攻撃隊が全機着艦収容されるまでは、第2次攻撃の発艦は無理である。そもそも第2次攻撃は第1次攻撃の再出撃になるのだから、出せる攻撃隊自体がそろってない。また全機着艦収容するまで飛行甲板は着艦用にずっとあけておかなければならないので、仮に第2次攻撃隊が第1次攻撃隊とは別の部隊として存在していたとしても、それは飛行甲板上に並べることができない。だから映画『トラトラトラ!』で田村高廣演じる淵田総隊長が母艦に帰って来るなり「第2次攻撃隊の発艦準備はどうした! 第2波が戻ってくる前に発艦せんと収拾がつかんぞ!」と怒鳴るシーンなどまったくありえないのである。「全艦隊帰路につけ」との旗を見て淵田総隊長が口にした「そんなアホな」などはこっちのセリフなのである。そもそも第1波と第2波は発進は1時間の差があったが、帰艦は順不同でバラバラであった。だから第1波、第2波の両方がすべて帰ってきたのち、第2次攻撃隊の発艦準備開始である。おそらく疲労と損傷のため、出せても第1次攻撃隊の半分、つまり1波だけだろうが、それでも発艦は15時近くになる。

また、真珠湾攻撃に参加した主力6空母のパイロットは、代替のきかない超貴重な戦力だった。パイロットの中から優秀な者を選抜し、金のかかる特別な猛訓練を戦前の余裕あるときにたっぷりとやらせた者たちだったからだ。いきなりの緒戦でその多くを失うことはできないのである。

にもかかわらず、なぜ現代日本人は「第2次攻撃をかけて石油タンクを破壊しなかった日本軍はバカ」と非難するのかというと、これはアメリカ太平洋艦隊司令長官だったニミッツが戦後「太平洋海戦史」という本の中で、「日本軍は石油タンクを破壊しなかった。この燃料がなかったらむこう数カ月真珠湾は拠点として機能しなかっただろう」とウソを書いたからである。これを読んで現代日本人は「海軍のアホ! バカにされてるじゃないか! なんでタンクを破壊しなかったんだ!」と怒り出した。それが広まったのだ。ことの中身も確認せず。

ニミッツの言ったことがウソなのは既述のとおりだ。ではなぜニミッツがこんなことを言ったかというと、それはアメリカ国民に対して、真珠湾攻撃をまんまと食らってしまった海軍の不面目をエクスキューズするためであった。

アメリカ側にとって真珠湾への奇襲は完全に裏をかかれたものであった。アメリカは12月初旬に日本軍が戦争を仕掛けてくるのは察知していた。そして日本の本命はアメリカに石油の輸出を止められたのもあって当然インドネシアの油田であった。だからアメリカは、日本は自身が進駐している仏印を足場に、まず英領マレーへ、そしてもしかしたら同時に我がアメリカ領のフィリピンも攻撃し、そしてそののちにインドネシアに南進すると見ていた。ゆえに真珠湾が攻撃されるなんて思っておらず、真珠湾は平常時の哨戒しかしていなかった。レーダーで日本機を捕捉しておきながらその報告を受けるや「それは本土から来たB17 の編隊だよ」などとのたまう失態までみせている。

しかしアメリカは頭をかきながら「だってまだ外交交渉中だったんだから、まさか真珠湾に来るなんて思いもよらないよ」なんて言い訳は決して口にしない国だ。そこで日本の真珠湾攻撃にケチをつけることにしたのだ。すなわち「石油タンクを壊していかないなんて日本人は間が抜けてるなあ。大したことできてねえじゃん」と。これには「やっぱり神の加護はアメリカにあるんだなあ」というニュアンスも含まれており、そうもっていくことで、奇襲をまんまと許したことから米国民の目をそらさせたのである。

そしてこのアメリカの完全に裏をかかれて大破壊攻撃を食らってしまったマヌケ隠しは、「宣戦布告が遅れたのは日本の恥じ。間に合っていればそんな汚名を着ることもなかった」という日本人側のもうひとつの見当違いにもつながっているのである。

どういうことかというとこうだ。攻撃直前に国際条約にのっとって宣戦布告(正確には日本が手渡したのは外交交渉打ち切り通告であるが、とりあえず宣戦布告に等しい)を出すなんて、どこの国でも考えそうなことである。アメリカは相手が先に手を出したというのを自己の大義名分とするので自分から武力攻撃することはほとんどないが、それでも他国ならばそうするであろうということは認識していたし(第2次世界大戦のはじまりとなったドイツのポーランド侵攻だって宣戦布告なんてしていない)、実際、上述したように宣戦布告のあるなしなど関係なく、日本が12月初旬に南方に攻撃を仕掛けてくると読んでいた。ゆえにわざとにせよハプニングだったにせよ、交渉打ち切り通告の遅れなどあまり重要な部分ではないのだ。そもそも通告を攻撃開始の直前に渡して相手がビックリするまもなく攻撃を始めたのなら、「ちゃんと間に合わせたもんねー」と言ったところでズルイのは同じだろう。だから「宣戦布告が遅れたのは日本の恥じ。数秒でも間に合っていればそんな汚名を着ることもなかった」という思考はおかしいのである。

実際アメリカは布告の遅れについてはあまり何も言ってない。むしろルーズベルトが対日戦争開始の演説時に言ったことは「日本は外交交渉中に艦隊を奇襲のために出撃させておくという詐欺行為をした」ということだ。しかしこれも結局は同じなのである。すなわち敵が交渉中に攻撃準備をすることも想定できる範囲のこと、想定してなければならないことだ。しかしアメリカはそれを想定はしてたのだが、真珠湾に来るとは思っていなかったのでマヌケなロバにされてしまった。これは恥ずかしい。だからルーズベルトは、詐欺行為だったから米軍は防げなかったと暗に示すためにも「日本はわれわれをだました」と強調する必要があったのだ。本当に詐欺行為すぎて誰であっても防げなかったと思っているのなら真珠湾の太平洋艦隊司令長官キンメルをクビにする必要はあるまい。いわばアメリカは「やられた」ことを戦意高揚に使ったと同時に、のちのニミッツ同様「大してうまくしてやられたわけでもない」とものたまって国民を操縦、「あんな大奇襲を許すなんて政府と軍は何をしていたんだ?」という批判を封殺したのである。

もっともこんな批判を出せる余裕が当時のアメリカ人にあったか自体は疑問なことである。というのもアメリカ国民は批判や怒り以前にまず、いきなり絶海のハワイが大量の日本機(ちなみに360機)に攻撃されたということで驚愕、そして動転していたのだから、まず大統領としては日本軍への恐怖心を拭わなくてはならなかった(真珠湾攻撃によって西海岸がパニックになったのは喜劇映画『1941』などにも描かれている)。そのためにも、日本は卑怯なことをしたからこの青天の霹靂的な作戦を成功させることができたということを強調しておかなくてはならなかったのである。

現代日本人側は、こんなアメリカ上層部の日本軍に対するバカ呼ばわり、卑怯者呼ばわりをお人よしにもまともにうけて、「バカ呼ばわりされたじゃないか、卑怯者呼ばわりされたじゃないか! アホの海軍と外務省め(通告が遅れたのは外交官のせいということになっているため)」と怒っているのである。これは結局のところ、現代日本人にとってみれば、失敗者批判(だって負けたんだから失敗者だ)ということで当然なことであると同時に、ご本人の気持ちがいいからなのもあろう。つまり今生きている俺らはバカじゃない。

人間は一番自分が気持ちよくなる説を信じるものだ。しかしこんな見当違いの批判を信じ、本当に批判すべきところのほうを批判できてないありさまでは(こちらもまた上記のアメリカ国民のようにうまくいろいろと目をそらされているのである)、いつ、その「俺たちはバカじゃない」という化けの皮もはがれるか分かったものではない。

特攻を可能にしたものは何か~すぐ自殺行為に走る日本人

特攻という恐ろしいことがなぜ行われたのだろうか。私がそれを気にするのは、こういった究極的行為にこそ、日本人の本質が顕現したと思うからである。

特攻。それはあの戦争において強敵アメリカに対する最後の新兵器だったのかもしれない。しかし人間を目標突入装置として爆弾と一体化させるという考えは明らかに、兵器という範疇を超えた別の精神的動機が介在している。

まずは直観的にいこう。「特攻という恐ろしいことがなぜ行われたのだろうか」この疑問はいきなりこう変換できるだろう。それは、

日本人は追いつめられるとなぜすぐ自殺行為に走ってしまうのか。

日本人はちょっと追いつめられただけで、すぐ「もうダメだ。死ぬしかない」となる。思考停止、行動停止。自力で突破しようと考えない。

と、まず言いたい放題書いてみたが、今、私はいみじくもこの謎を解くキーワードをひとつ口にしたと思う。それは

「自力」

だ。それが否定されてること。

これは裏返せば、日本人は他力で考えるというか、他者に律せられるのが常道となっているということである。日本人は他律的でいることが身についてしまっているから、いざというとき、自力でものごとが考えられないのではないのか。(↙)

(↙)さらに、「追いつめられたいざというとき」というのはどういうときかというと、その自分を律してくれている他者が、自分を律してくれる機能を果たせなくなったか、あるいはこちらがその命令に応えられなくなったときの状態を指しているのではないか。自分を律してくれるものが自分を律することができないものとなったら、もう他律で生きている者はどうしようもなくなる。道が見えなくなる。死しか見えない。だからもう死ぬしかないとなってしまう。

この方程式を特攻にあてはめてみよう。

そもそも大国アメリカと戦争するのが特攻みたいなもので、そのアメリカと戦争する目的は、別記事でも分析したように、「強い日本」「世界に冠たる日本」であり続けるためだった。「強い日本」であることは、アメリカに強制開国という屈辱を味わわせられて以来、日本が証明すべき至上命題とされてきたものである。ところがアメリカと戦争を始めるや、「強い日本」でありえたのは最初の1年くらいで、あとは本気を出してきたアメリカにガンガン押し返されるという事態となった。そして、マリアナ諸島という絶対国防圏をついに突破され、次のフィリピン攻防戦で特攻が始められたのだった。

つまり対米戦争において日本人を律していたのは「強い日本であること」という不文律のスローガンであった。ところがアメリカに目に見えて負けはじめたので、「強い日本」でありえなくなった。そこで他律的である日本人は「もうダメだ。死ぬしかない」となってしまった。しかし死ぬにしても、その「死ぬという行為」と「強い日本であり続けるという至上命令を実行し続ける行為」の両方を同時に実現せしめる行為がひとつだけあった。それが特攻だったのだ。

となれば、さらなる問題は、なぜ日本人はそれほど他律的であり、また「強い日本であること」にこれだけ固執したかということになるだろうが、ここらはもう答が出ている。日本人が他律的なのは、島国で閉ざされているので(実際地理的にだけでなく鎖国など文化的にも閉ざされてきた)、規則や立ち位置ががんじがらめになっているからである。日本人は自分でものごとを考えてはいけないと小さい時から無意識に教え込まれる(個人的なことをいえば、私もお上のことを聞いてマジメにやっていれば、国や会社が最後まで面倒見てくれるのだという人生観を吹きこまれてきた。)。日本人が「強い日本であること」に固執したのは、やはり閉ざされてきて、引きこもり的自己愛、井の中の蛙的傲慢さを自ら肥大化させてしまったからだ。だからこそアメリカの強制開国やその直後の2流国扱いに並々ならぬ屈辱を感じ、井の中で一丸、すさまじい勢いでの欧米化も成し遂げたのだった。そしてアジアで先がけて近代軍をも整備し、1流帝国目指して領土を拡大していったのだった。

その「がんじがらめ」と「引きこもり的自己愛」はともにひっくるめてある呼び方をされている。それは「日本」だ。ここでいう「日本」はあるひとつの国というより、ひとつの別の概念、ある宗教といったほうがいいだろう。結局、日本人はこの「日本」というものに囚われている。そして個を超えてその「日本」が絶対になっている。いわば特攻はその囚われがどれほど強いものであるかを証明したものであった。

しかし、囚われているといっても、次のことだけは忘れないでおきたい。こうなったことは絶対的宿命ではないこと。他律的であることも、「強い日本であること」への固執も、人為的に押しつけられたものにすぎず、真に絶対のものではないということだ。押しつけられたものであれば跳ね返すこともできる。だから跳ね返すべきだ。簡単に「もうダメだ。死ぬしかない」などという考えに走らないためにも。それこそが特攻が私たちに教えてくれることではないか? 

 

二・二六事件とは何だったか その正確な理解と位置づけ

日本近代史の中で二・二六事件ほど分かりにくいものはない。なぜあのようなことが起こったのか。

一般に二・二六事件はつぎのようなものとして理解されている。

娘を身売りしなければならないほど疲弊した農村を救済するために、陸軍青年将校たちが現政府の大臣たちを殺害し、天皇親政の政府を打ち立てるクーデターを起こそうとした。

これで「うん、なるほど。そういうことか」と言える人は、よっぽどなんでもそのまま受け売りされる方だろう。以上の文言だけでは、なぜ農村が疲弊したか、天皇親政の政府とは具体的にどんなものか、何も分からない。

また、よく二・二六事件は貧しい、特に東北の農村出身者によって起こされたように言われがちだがそうではない。蹶起した青年将校には東北出身者は少なく、親も将校であるとかそれなりに裕福な者が多かった。また彼らの指揮により動かされた兵隊たちにしても戸籍のあるところに入隊するので、地元首都圏の若者たちばかりなのだ。こんなだから、青年将校たちはそれほどまでに義憤を感じる純粋な正義の士だったのかという疑いも出てくる。これでは二・二六事件の本質はなんら見えてこない。

では少しずつ分かりやすくしていこう。

まず天皇親政。天皇親政とは、天皇がじかに政治を行うことだが、はっきりいってそんなことは無理に決まっていた。これはあくまで青年将校たちが大義名分、錦の御旗としてあげた「理想的な政治」の代名詞に過ぎない。

では青年将校たちが具体的に目指したのは何か? それは、陸軍皇道派が政府も陸軍もつかさどるということであった。陸軍皇道派とは何か。それは陸軍内で保守伝統的、非拡大の考えをもつ勢力であった。

それに対し陸軍内には今一つ、統制派と呼ばれる新興勢力があった。こちらは拡大派である。すなわち、中国を侵略してものにし、あわよくば欧米の植民地である東南アジアも得て、最後には英米と世界覇権をめぐって果し合いせんとまですら考えていた一派。

当時の日本ではこの拡大思想のほうが力を持ち始めていた。陸海軍とも軍拡に動きだしており、陸軍は満州事変を起こして建国した満州国に国民を移住させ、対ソ緩衝地帯を広げていっていた。海軍は海軍で、海軍軍縮条約を脱退し、巨大な軍艦づくりに邁進し始めていた。あの巨大戦艦大和の基本設計がまとまったのも二・二六事件の年1936年のことだ(予算成立と起工は翌年)。

領土拡大に軍艦建造。いうまでもなく、どちらも金が必要なことだ。そのツケが低所得者や小作農民にまわっていたのである。これが当時の日本の台所事情なのであった。

かといって青年将校は低所得者や小作農家に純粋な同情を示し、大臣殺害を企てたわけではない。むしろまずは、軍部の力が増すにしたがって、自分たちにも力、何かを成すべきだけの力があるように思いこみはじめたのが最初だった。それは最終的に彼らが軍隊的暴力でもってことを成そうとしたからも証明できるだろう。そんな「自分たちの」力をどこに使うべきか、何に使うべきのが有意義なのか。統制派が旗ふる領土拡大の先鋒になる、そのことは答に選ばれなかったのだ。彼らはそんなことに自分の力を、命を使うのは御免だった。むしろそうならない方向にもっていくこと、いわば反抗、革命。それに力を向けるほうが有意義かつヒロイックなように彼らには思われた。それは、統制派の筆頭人物たる永田鉄山陸軍少将を皇道派の相沢三郎中佐がその執務室に斬殺したときに、「年寄りに先を越された」と青年将校が悔しがったことにも現れている。

つまり青年将校たちの頭の中で、統制派(領土拡大)に使われて戦場で死にたくはないという心理と、貧窮している農民を救うという大義名分とが同化し、天皇親政の国にするという国家改造計画を断行するとの形ができあがったのだ。これが青年将校たちの姿勢の正確な理解となるのではないか。

これには、蹶起した青年将校たちに、陸軍大学校進学、つまり幹部になるのは難しそうな人物が多かったのもある(最年長の村中孝次だけが陸大に在籍していたことがある)。つまり青年将校は真っ先に戦場に行かされる人間たちでもあったわけだ。

二・二六事件が分かりにくい最大の理由は、この部分にあると思われる。つまり、青年将校の掲げた「尊皇討奸」「農民救済」というタテマエばかりが取り沙汰され、本音である戦場で使い捨てにされるなんてまっぴらだという心情が、表に現れていないこと。それは彼らが軍人、しかも将校であるだけに余計に露呈しなかった。

二・二六事件の発生経緯としては、奸臣すべからく成敗すべしと息巻く青年将校らを、統制派の軍人たちが政治家に対する牽制として利用していたにもかかわらず、青年将校らが本当にことを起こしかねないと見てとるや、彼らを彼らの受け持つ部隊ごと満州に送ることとしたために起こった。これが裏目に出たのだ。満州派遣が決まると同時に、彼らの部隊に実包(実弾)が配給されたこともあって、彼らは勝手に配下の兵を動かし、大規模な大臣殺害を実行したのである。

青年将校らは軍人らしからぬ自由主義者だったのだろうか? 確かに彼らの育ったのは大正デモクラシーの時代下だった。それは影響していたかもしれない。しかし、軍部エリートの拡大野心のための使い捨てなんてまっぴらという心理そのものは理解しがたいものでもない。また軍人として矛盾しているともいえない。国防のために死ぬならともかく、侵略のために死ぬのはあまり納得のいくものではなかろう。実際、統制派の企てていたこと、すなわち中国占領も、そののちの英米との対決も、かなりの無茶ごとであった。

しかし同時に、青年将校のしたこともまた無茶のそしりを逃れられない。天皇がその行為に激怒したのも無理からぬところで、その激怒のために、一度はことを荒げないままに収束を図ろうとした陸軍中央の目論見も頓挫し、青年将校らは21名が死刑となって、ことは終わりを告げたのだった。この後あらゆるクーデターは終息した。そして翌年、日本を破滅の対米戦争へと導く伏線となった日中戦争がはじめられたのであった。

つまり、対米戦争に至った日本の領土拡大行為が、野心的で無謀な暴発であったのと同様、二・二六事件も野心的で無謀な暴発行為であった。それはちょうど日本の本格的な領土拡大がはじまらんとした矢先に、まさにその第一陣となるはずの矢の先が拒絶反応を起こし、別の方向、逆である内側に向かって暴発してしまったものであったといえる。これが二・二六事件の本質であり、歴史における正確な位置づけになるのではないか。

五・一五事件と比べて二・二六事件の青年将校らが、どこか子供っぽく見えるのもここらに理由があるのだろう(48歳の高倉健に青年将校役などやらせてはいけないのだ)。五一五事件は海軍拡張の布石を作るためという二・二六事件に比べればかなり合目的なものであった。

また、五一五事件では、娘を身売りに出さなければ生きていけない農民たちを救いたかったという陳情が国民の心情に訴えるところとなり、減刑署名までが集まったこともあって、死刑者が出ることはなかったが、これを国民のクーデターへの理解と考えてしまったところにも二・二六事件将校たちの甘さがあった。実はこれは姑息な口実であり、五一五事件を起こした海軍青年将校の本音は、今もいったように海軍拡張にあったからだ。むしろ海軍拡張により、農村はさらなる疲弊に追い込まれた。前述の大和型戦艦1隻の値段などは、二・二六事件の年に竣工した現国会議事堂の5倍もしたのである。国民もお人よしなことに、まんまとだまされたのだ。しっかりしようぜ。

しかしそれならば、二・二六事件の裁判においてもふたたび主張された、娘を身売りに出さなければ生きていけない農民たちを救いたかったという陳述もまた、口実ではなかったろうか? こちらのほうは軍部内の非公開裁判となったので、その声が国民に届くことはなかったが、彼らのいう身売りに出された娘というのは、実は彼ら自身のことだったのではなかったろうか?

かように真実がいつまでも響かないままだから、二・二六事件はいつまでたってもわかりにくいのだ。

 

東武鉄道特急スペーシアX新鹿沼駅事故の真相~次の列車は中線に入るという運行表が渡されていた?

事故から1カ月たったが、まだ真相が発表されない。どうも出てくる情報があいかわらず断片的で、すでに真相がわかっているのに都合が悪いから隠しているのか、それとも本当にわからないのかがわからないのだが、現時点で出そろった情報のピースがきっちりあてはまるストーリーがひとつだけある。それは・・・

現場指揮者含め、作業員が持っていた列車運行表では、次の列車は中線に入ることになっていたというものだ。

つまりこうだ。

この新鹿沼駅には上り線、中線(上下線共用)、下り線の3つがある。運行表では、次の列車は中線に入ることになっていた(なお事故が起こった10時台の上り列車は平日では3本だけである)。「次の列車が入るのは何線だ?」「中線だ」という会話もなされ、そのことは作業員に共有されていた。そして次の列車(上り列車)が来た。数名の作業員はそれを見て、ホームに上がったが、なくなられた4人は背負ってる除草剤タンクが重いのもあって、上り線でホームに背中をあてる形で並んだ(これは途中で発表された情報である)。上り線で作業を続けているのは、横を通りすぎる列車の運転士にも余計な緊張を強いることになるから、退避していますよという意思表示のためにもそうした。そして見張り員も「退避したよ」という連絡を受け取った上、それの視認もできたので、列車に「作業員退避完了、列車通行可」の合図を送った。そして運転士もその合図に対して「了解」の汽笛を鳴らした(この汽笛は記録されているとのこと)。

しかし運転士はこの駅でいつも入線すべきところに人がいるので驚く。しかし「通行可」の合図は受け取ったし、線路上の人間は平然とホームの端に皆寄っている。ここで運転士はどう思うか? あまりに全員が平然としているので、「ああ、今日は中線に入るのか」と思ってしまったのではないか。しかし中線への分岐点(接触地点より約50mのところにある)を過ぎても列車は上り線をそのまま直進する。急ブレーキをかけたが、間に合わなかった・・・・ということではなかったか?(↙)

(↙)以上が真相なら、なくなった4人がなぜホーム下の上り線で作業、あるいは移動していたか、なぜ平然とホームに背中をつけて立っていたか、なぜ列車見張り員が「作業員退避完了、列車通行可」の合図を送ったか、なぜ作業員が前方にいるのが見えたはずなのに運転士はすぐに急ブレーキをかけなかったのか、なぜ彼らに向けての警笛も鳴らさなかったのか、すべての説明がつく。

ただひとつあてはまらないピースは、運転士がなぜ「列車が中線に入るのだと思ってしまった」と言わなかったかということだ。しかしこれも推測できる。おそらくそう証言したのだが、それは発表されなかったのだ。それを発表してしまうと、作業員側が「次の列車は中線に入る」というまちがえた情報を持っていたことが容易に判明し、まちがえた運行予定表を手渡した者の責任になるからである。

なぜ間違えた時刻表を渡したかは素人でもいくらでも想像できようが、保線作業のことをよく知っている人のほうがより絞った想像が可能であろうから、素人が余計な想像を羅列するというムダはすまい。ただ、以上の経緯が一番つじつまがあうのは言えるのではないか。

それにしても、そもそも運行中にホームの下などという逃げ場所のない危険な場所で作業させるのが一番の問題だと思う。だから見張り員をつけるのだ。運行表を渡すのだという話ではないと思うのだが。

皇位継承問題のバカバカしさ~身も蓋もない本音

当ブログは『日本なるものの個人的考察』と銘打っていいくらいのものなのだけど、今話題になっている皇位継承問題については私はあまり関心がない。天皇制というのは『日本なるもの』の副産物にすぎないからだ。「中心ヅラ」はしているけどね。こんなだから私は、『天皇制』はともかく、天皇そのものにはあまり興味がない。ましてや天皇「家」の話となるとまったく関心がない。人んちの話やん。

そもそも、今やってる皇位継承論争は、バカバカしくて話題にする気になれない。「男系男子」ってわたしゃゲイ雑誌か女性向け同人誌のコピーかと思ったよ。Y染色体ときたらなんだかSFめいているし、一体何の話をしとるんだねキミたちは。

もっと正直なところを言うと私は「天皇」というものにかかわりあいたくないのだ。実際ネットでは大騒ぎしているが、継承問題なんてそんなにたくさんの人が関心持ってることか? 「天皇」を語る奴はみんなウサン臭い。 

それでもちょっと思っているところを言わせてもらえれば、結局のところ「男系男子主義」とは「男性絶対上位主義」なのである。こんなこと直観でわかろう。高市総理は女だが男系男子相続を主張しているぞ、と言われるかもしれないが、男が主張したら露骨なことなので、女に言わせているというのが本当のところだろう。