たまきちの「真実はこうだ!」

事件、歴史、国家の真実を追求しております。芸術エッセイの『ある幻想画家の手記』https://gensougaka.hatenablog.com/もやってます。メールはshufuku×kvp.biglobe.ne.jpです(×は@です。迷惑メール防止のため))。

日本にはなぜ政治の中枢がないか~属する組織が至上の社会

よく言われることだが、なぜ日本には政治の中枢がないのだろうか? 日本では首相は首相という役柄を演じているにすぎない。外国の宰相が日本の首相と約束をとりつけても、それはノーの意味だと皮肉られたこともある。首相に決定権がない証拠である。日本には、権力が最終的に集中された政治の中枢者がいないというのはまちがいない事実だろう。

なぜそうなったのか? 

それはまず、各省庁、各団体にとって、全体を見てものごとを判断する政治の中枢は、自分たちの利益を損なわせるかもしれない存在だからなのがある。政治の中枢という強力な機関(あるいは人間)がいれば、ヘタをすると全体をかんがみられたのちに「君たちはもう必要ない」と切り捨てられる、あるいは縮小せられる可能性がある。だからどの組織も申し合わせたように政治の中枢が成立しないことに加担する。お飾りの内閣を良しとする。なるほど、これならば世襲議員はうってつけだ。

では、なぜ日本では各組織、団体の力がそんなに強いのか。

まずは各組織団体が強くあることは、日本が強くなることにつながるからというのがある。政治中枢だけが強くても、それによって動かされる媒体が強くなければ国は強くなれない。また個人個人が強くてもしかり。何にもまして、個人個人が集まった組織団体が強くなければならない。実体・主体となっているのは「組織団体」なのだ。だから組織団体が強くあることが何よりも望まれる、奨励される。

さらにもうひとつ、日本の各組織が強いのは、各組織・団体が実際に多くの人間をかかえているからなのもある。が、より大きいのは、それが、割り振られたものということにあるかと思われる。どういう意味かというと、それは単に大勢の人間が集まってできている組織ではなく、最初から日本国民全体を割り振ってできているものということである。(

)日本人は常に何らかの組織に帰属させられる。日本では、ならず者にさえ暴力団という受け入れの枠があるというのもよく言われるところである。だから、ある組織が政治の中枢によって不要と判断されるということは、そこに割り振られた人間たちが路頭に迷うことを意味する。日本では組織と個人との一体性が強く、組織間を移動することも奨励されていないからそうなってしまう。誰だって路頭になんて迷いたくはないし、路頭に迷った人間が反体制分子に変貌するのはもっと歓迎せざるところであろう。日本の企業がなかなか倒産させられないようにされているのはこのためだ。

つまり日本は、社会の安定のために、最初から「枠」で決めつけが行われている社会である。「枠」からはずれたら何もないし、また周囲も「枠」からはずれさせようとしない。「枠」こそすべて。そこに各人の生存もかかっている。だから「枠」は徹底的に守られなくてはならない。これがおそらく日本において各組織団体の力が強い一番の理由だ。

こんなだから日本では、各組織団体が横並び状態となる。もちろんたとえば省庁の中では財務省が一番強いなどの差異はあるが、財務省とて政治の中枢ではない。彼らは自分たちが日本を引っ張って行っているのだと自負している反面、自分たちのやっていることが非難されると、いつも「財務省は財務省の仕事をやっているだけ。気に入らないならそれを変えれる政治家をあなたがた国民が選んでください」と逃げる。かといって、真にものごとを変えれる政治家、政党を生み出したくても、日本人自身ほぼ全員がすでに「枠」に入れられているし、政治の中枢はあらしめられないよう常に強力なる各組織団体に監視されているから、結局そのような政治の新勢力も生まれてこない。ここらは日本という国に自浄能力がないことの原因にもなっている。

かくて日本では、重要な決定事項は複数組織の(ときには暗黙の)最終的合意によってようやくに決められるということになる。日本政府の意志決定の遅さはここに起因している。決済の書類に全員のハンコが必要な社会。それは全員の顔を立てるというより、全員の実質的な生きる糧を保証しあう確認作業なのだ。ここらは日本人ならいろんなバリエーションが思い当たるだろう。

こんな体制が成立してるのは、言わずもがな、日本が閉じられた島国だからである。他国はたいてい地続きの隣国が横にあるので、こういうガチガチの枠縛り体制にはならない。枠を作ったところで流動的、相対的なものにとどまり、日本のような絶対的なものにはならない。彼らとて外国と対立、ときには戦争、支配、被支配ともなるが、外国は生きていくための仲間でもあり、ときには逃げ場所でもある。日本人にはこういう発想がない。おのれの所属する「枠」が絶対のものになってしまう。外国人でも宗教が精神的な絶対性を持つことはあるが、生活の部分はそれと分離していることが多い。対して日本では精神も生活も「枠」に囚われる。

おのれの「枠」が絶対となるなら、おのれの「枠」の上にいて指図する者、すなわち政治の中枢など不要となるのも道理であろう。

 

皇位継承問題のバカバカしさ~身も蓋もない本音

当ブログは『日本なるものの個人的考察』と銘打っていいくらいのものなのだけど、今話題になっている皇位継承問題については私はあまり関心がない。天皇制というのは『日本なるもの』の副産物にすぎないからだ。「中心ヅラ」はしているけどね。こんなだから私は、『天皇制』はともかく、天皇そのものにはあまり興味がない。ましてや天皇「家」の話となるとまったく関心がない。人んちの話やん。

そもそも、今やってる皇位継承論争は、バカバカしくて話題にする気になれない。「男系男子」ってわたしゃゲイ雑誌か女性向け同人誌のコピーかと思ったよ。Y染色体ときたらなんだかSFめいているし、一体何の話をしとるんだねキミたちは。

もっと正直なところを言うと私は「天皇」というものにかかわりあいたくないのだ。実際ネットでは大騒ぎしているが、継承問題なんてそんなにたくさんの人が関心持ってることか? 「天皇」を語る奴はみんなウサン臭い。 

それでもちょっと思っているところを言わせてもらえれば、結局のところ「男系男子主義」とは「男性絶対上位主義」なのである。こんなこと直観でわかろう。高市総理は女だが男系男子相続を主張しているぞ、と言われるかもしれないが、男が主張したら露骨なことなので、女に言わせているというのが本当のところだろう。

 

なぜ日本で漫画は発展したか

もちろん漫画が盛んなのは日本だけではない。アメリカにはアメリカン・コミックスがあるし、フランス・ベルギーにはバンド・デシネがある。それでもそれらは日本の漫画ほど巨大な存在ではない。アニメまで含めればさらに差がつくだろう。

なぜこれほどまでに日本では漫画が発展したのだろうか? 

ちまたで見かける見解には、わざとかというほど的外れなものが多い。日本語の表記が表意文字(漢字)と表音文字(かな)の混合なので、絵と文字の混合である漫画は、日本人が読むのに容易な媒体だから(ではないか)などといったものを見たことがあるが、これは単なる思いつきだろう。鳥獣戯画という部分を切りとって伝統とする説明も恣意的すぎてとても納得できるものではない。

ならば自分で考えよう。なぜこれほどまでに日本では漫画が発展したのか?

まず単純に、戦後復興から高度経済成長にかけて成長した「産業発展至上主義」とでも呼ぶべき不文律の国策。これの存在が何よりも大きいと思う。日本の漫画もまた高度経済成長の時代に大きく飛躍した「産業」だからだ。

この時期はどこの企業にもモーレツ社員(当時の流行語)がおり、もはや有名な話であるが出版業界も、漫画家や漫画家志望者をヤクザ顔負けの使い捨てあつかいで業績をのばしていた。特に出版社にとっては、テレビという強敵が出現したことで、それへの対抗策が必要となり、それで漫画に目がつけられたのもあった。テレビ普及を促進させたできごととしては1959年の「皇太子ご成婚」がよくあげられるが、奇しくも日本の4大漫画少年誌のマガジンとサンデーが創刊されたのもこの年なのである。(

)ただでさえ原稿をそのまま版にできる漫画はコストが安いうえ世間知らずの若い漫画家志望者の卵から使いものになりそうな者を選びぬき、そしてその他は捨てていくというアコギなやり方で、若者を夢中にさせる作品を提供し続けることができた。漫画は大手出版社のドル箱となる。これらはすべて産業発展至上主義に沿っているので了とされてきたのだ。

それが証拠に、日本では外国のように、漫画が有害だとして規制されることがなかった。アメリカでは、1950年前後にコミックスが「有害図書」として糾弾され、それからは「健全な」ヒーローもの1色となってしまっている。そうなるまではアメリカでも今の日本のほどではないにせよ多様な漫画が存在していたらしいのだが。

それに日本の漫画はもうひとつ別の面からも産業発展至上主義に貢献していた。学校・塾を通じて産業発展至上主義の縛りに疲れている子供、若者に癒し、青春の代用品を提供するという機能を果たしていたことだ。露骨にいえば、子供たちや若者を産業発展至上主義におとなしく従わす材料として漫画が有効であったということである。そもそも日本では日常生活においてはいろいろと縛りが強い一方、「ある設けられた枠内」ではかなりの自由、抑圧を発散することが許されるというところがある。あまり海外では見られない飲んだ席での無礼講とかキャバクラ文化などはそれで、つまり漫画もそのひとつなのだ。

この枠内には、倫理的追求の手も伸びることがない。上述した漫画家たちのひどい扱われ方や、先年海外メディアの批判を受けてさかのぼり問題になったジャニーズ性加害などは、これらの治外法権であったことを物語っている。ここらについては、日本では宗教的な圧力が強くないからという意見もあるが、また言うように日本とて日常習慣における行動規制は海外以上にきびしいので、宗教性の強弱はあまり関係ないだろう。いや、むしろ「産業発展至上主義こそ戦後日本の宗教だった」という表現が一番事態を説明できているのではないか。

以上が日本で漫画が発展した理由であるなら、なぜちまたで、わざとかと思えるようなトンチンカンな「日本で漫画が発展した理由」が並べられているのかもわかってこよう。それは産業発展至上主義といういかがわしい不文律の国策から国民の目をそらさせるためである。と同時に、世界第2位の経済大国から転落した「落ち目」の日本の世界に誇るものとして漫画を持ち上げることをしたいがためである。

大体日本の評論家が妙な説を唱えたときは、何か国家的たくらみの真実を隠そうとしていることが多い。評論家自体が意識的にそうしているのか、無意識的にそうしているのかは知らないが。

 

日本海軍が真珠湾攻撃をした本当の理由

なぜ今さら「日本海軍が真珠湾攻撃をした真の理由」などをここに書いておきたくなったかというと(なお主語が「日本海軍」になっているのは真珠湾攻撃は海軍単独の作戦だからである)、あまりに、「真珠湾攻撃は、日本の本命作戦たる南方占領作戦(石油確保のための)を米艦隊に邪魔させないようにするために行われた」という誤認識が広まっているからだ。偉そうに言いつつ、実は私もそう思い込んでいたときがあったのだが。

この理由は一見、非常に理にかなっているように見える。聞けば「なるほど」と多くの人が納得してしまうだろう。しかし当たり前のことだが、その行動についてもっとも理にかなって見える理由が、史実としてその行動を起こした理由だったとは限らないのである。また実際に真珠湾攻撃の意義を南進支援だと認識していた海軍幹部もいたのは事実だが、命令を受けた実行者がそう認識していたということは、決定者もまたそう考えて決定したのだということを意味してはいない。そして「理にかなって見える」ことは、本当に「理にかなってる」ことともまた別である。

実際、この南進支援説は、当時の海軍首脳の口にはほとんどのぼっていないのである。真珠湾攻撃の発案者たる山本五十六連合艦隊司令長官などにしても、「開戦いきなりの大打撃を敵に与え、米国民の士気をつぶしてしまうのだ」とか「南方進攻中に米艦隊に日本本土を襲わせるわけにはいかない」とかで、「真珠湾奇襲をしないと南方進攻などおぼつかん」とは言ってはいないのだ。(米国民の士気をつぶすことによって大東亜共栄圏を完成させることができるという意味のことは言っている)

南進支援説が出されたのは、山本の部下と軍令部の参謀、すなわち、艦隊(現場部隊)の参謀と中央指揮組織の参謀のあいだで真珠湾攻撃の是非が言い争われた場においてでであった。つまり推進派である現場部隊のほうは、「真珠湾を叩いておかないとおちおちと南方作戦もできん」といい、反対派の軍令部のほうは「真珠湾を叩かなくとも、マーシャル諸島などがあるゆえ、米艦隊は容易に遠く東南アジアまで進出してはこれない。ゆえに、途中でバレて奇襲が失敗に終わるのみならず、こちらのほうが打撃を受ける可能性があり、さらには当日敵主力艦がいるという保証もない真珠湾作戦などやる必要性はほとんどない」と反論したのである。(

)これは論理的にも、結果的にも後者が正しかった。実際、艦隊側はこれを論破できなかったし、事実的にも、真珠湾で撃破できたのは、旧式戦艦4隻だけで、高速空母のほうは近くの島に飛行機を運んでいたので日本海軍はこれに傷をつけることはできなかった。これら米の旧式戦艦は日本の扶桑型よりも鈍足で、無事であっても日本の南進に対し何もできなかっただろう。無傷だった高速空母にしても、日本軍の南方進攻中は、マーシャル諸島やせいぜいラバウルに軽い一撃離脱攻撃を加えることしかできなかったのだから、「真珠湾攻撃が行われたから日本の南方作戦はうまくいった」わけでもなかったわけである。つまり、現場部隊側が並べた真珠湾攻撃をやるべき理由は、「南方作戦のため」というのも含めて、「どうしてもやる」という前提での強弁の面が強いと言わざるを得ないのだ。実際、彼らが「絶対にやるべきだ」と譲らなかったので、軍令部も折れざるを得なくなり、真珠湾攻撃は決定されたのである。

もちろん、開戦いきなりの奇襲をかけるのは大きな戦果が見込めるのだから戦いのセオリーだし、それがこれからのあらゆる作戦をスムーズに行かせる補助となるのも当然のことである。しかし、その作戦が危険な賭けだとしたら、やるべきかやらぬべきかの天秤にかけられる。そして真珠湾の場合は、上述の通り、やらぬほうが理屈としてはまさっていた。少なくとも「南進のために」という理由は推進派の強力な論理武装とはならなかった。以上のことから、史実として、明らかに南進支援は真珠湾攻撃をやった真の理由ではない。これを真珠湾攻撃の理由とするのは完全に誤認識なのである。

では、このような危険な作戦を艦隊側が「やる」といってきかなかった真の理由は何だったのかというと、ここから先は推測とならざるを得ない。上述の山本五十六の言葉にしてもとても納得しがたいもので、同じく「やる」が前提の後付け理由にしか見えないからだ。ならばこれ以上、資料をまさぐってもムダで、状況や当時の日本軍人の心理から推測するしかないし、推測のほうが有効である。ちゃんと目的言語化(文書化)して理由を述べられなかったということは、結局、心理的な理由のはずだからだ。

そして、これはそれほど難しく考えずとも直感でわかる。もう海軍の現場部隊の気持ちは、戦争ハイモードになっていたということだ。日中戦争はすでに4年も前に始まっていたとはいえ、それはほとんど陸軍の戦争であり、海軍は航空隊が参加してはいたものの、軍艦の出る幕はまったくなかった。つまり対米戦争は、海軍が日本海海戦以来、36年ぶりに行う海戦、久々にスポットライトを浴びる大舞台だった。しかもまちがいなく日中戦争以上の、いや、日本国史上最大の戦いになるものであった。それがゆえに頭がテンパっていたし、また、テンパる必要を特に現場部隊は如実に感じていた。そういうことだと思われる。

これには加えて、アメリカという大国相手だったからこそ余計に闇雲に突撃していったというのもあるかもしれない。また山本が言ったように1年しか有利には戦えないがゆえにいきなり賭けに出たというのもあったのかもしれない。が、おそらくは同規模の相手、また長期に同等の戦いができるにしても、やはりこの奇襲は行われたと思われる。つまりは海軍は、久々の大海戦、主役の番が回ってきたがためにもう興奮状態になって、今手の内にある最新の武器(6隻の高速空母)を最大限に利用した大胆な作戦をやりたくてしょうがなくなってしまったという単純な理由が本当なのだと思う。作戦の失敗の可能性など目に入らなくなったことも、この理由なら納得がいこう。

つまりは、ほとんど子供の喧嘩の勢いづけゲーマー的ハイな気分。実際、「日本の本命作戦たる南方占領作戦を米艦隊に邪魔させないようにするため」という「一見大人なロジック」が流布しているのも、それゆえではないか。真の理由は実に単純な子供っぽいものであったこと。誰もそんなことでこんな重大な行動を決定するなんて信じられないし、日本軍びいきの日本人としては信じたくもないのだ。

しかし寺山修司が言ったように、戦争というものは畢竟「子供の戦争ごっこ」と同じなのが本当ではないか。

                         2026.4.1

 

ネット右翼の正体~イジメと共通するその執拗さ

私にとって、ネット右翼ほど不思議なものはない。私の周囲には、ネット右翼みたいなことを言う人間は誰ひとりとしていないし、私個人もネット右翼のような心情は持っていない。だから、いったい誰が何の目的でネット右翼をしているのか、想像もつかないのである。

当初は、国がまたぞろ国民に愛国心を植えつけんと躍起になっているのだと思った。が、ネット右翼の言っていることには、日本礼讃の面は薄く、中韓の誹謗にばかり終始しているため、どうやらそうではないと考え直した。しかし、中韓の悪口を標榜するとなると、いよいよそれに何のメリットがあるのか理解できない。

それが、ここ最近、出版されたネット右翼に関する本や、いろいろ見聞を重ねていると、なんとなく像が浮かび上がってきた。

どうも、ネット右翼というのは、自分たちは会社のため、国のために尽くしたのに、あとから来た中韓がいいとこどりをして伸びてきて、簡単に日本に並んだ、日本の脅威になった、そういうことで、いわば中韓が自分の人生を意味ないものにしてしまった、それがために中韓を恨むことに決めた、それを攻撃することで鬱憤晴らしをすると決めたと、そういう人種らしいのである。

確かにそう考えると、辻褄があう部分がたくさんある。

まず、「中韓はずるいこと、虫のいいことばかりしている」というのが、ネット右翼の最大のお題目なわけだが、これは、中韓が、日本含めた先進国の成果から出発できたがゆえに、急速に伸びることができたという話と符合している。

またネット右翼は「左翼」という言葉をよく使う(揶揄してパヨクともよくいう)。自分たちが「右翼」と呼ばれるものだから、それに対する反撃で「左翼」という言葉を使うのだろうが、私の感覚では、1985年ソ連が崩壊したときに20歳以下だった人間、およびそれ以降に生まれた人間は「左翼」という言葉は、知識で知っていても、ほとんど使わない。もう物心がついて政治意識が芽生えたとき「左翼」は実体として存在していなかったからだ。右翼という言葉のほうは街宣車が走っているので使い続けたが。ということは、おそらくネット右翼というのは高齢者である。実際、高齢となった親がネット右翼になったという話がここ数年になって多く出てきた。本も数冊出ている。(

)ところで、そういった本をみると、ネット右翼というのは、案外とマジメに生きてきた人が多いようだ。ネット上で有名なあるネット右翼に会いに行った人は、そのネット右翼が孤独がゆえにひねくれて、ネット右翼になったのだと想像して会いに行ったのだが、相手の家に実際に行くと(ただしインターホン口で追い返された)、ちゃんと結婚して子供もおり、普通の家であったとの由。おそらくは外見も普通の人なのだろう。

しかしこういうマジメ人がネット右翼の実像ならば、彼らの中韓誹謗の執拗さ、そしてネットでのみ、それを言うことも、かえって納得しやすいものになってくる。つまり、マジメな人だけに、他人(他国)の悪口は顔と名を出しては言いにくい。そこで匿名であるネットでそれを言う。そういう理屈が見えてくるからである。

しかし、自分の人生を価値ないものにしてくれた恨みだとしても、ネット右翼のはこびりかたは異常な気がする。いや、むしろ、しょうもないことに固執しているだけに、中韓への呪詛が本心なのではなく、もうひとつ別のファクターがその動機の中心としてあるのではないかという気がする。それは何か? 私は、中学生のイジメにも似た、「この相手を恒常的な攻撃の対象とすると決めた」という心的メカニズムがそれではないかと思うのである。

そう、「決めた」ということ。いじめにしても、ある子が憎くてしょうがないというより、あるときに、その子を今後の攻撃の対象と「決めた」がために、執拗ないやがらせとなり、また周囲にも影響を与え、エスカレートしていくのではないのか? いわば、くじ引きで「決めた」人身御供みたいなもの。人身御供だって、人々の精神安定のために行われたものである。ネット右翼も同様に中韓を誹謗することによって会社や国に自分の若さを使いすぎたという悔恨を慰めようと「決めた」のではないのか?

もしそうならば、本当に彼らが糾弾せねばならないのはむしろ中韓ではなく、皮肉なことに自国、日本のほうなのが本当となるだろう。学校でいじめを行う生徒の本当の不満の根源が「学校」であり「国」であるのと同じように。しかし彼らの年齢ではもう手遅れなのだ。あとは中韓誹謗にしがみつづけるしかない。ネット右翼の中韓誹謗の執拗さはここに根があるのではなかろうか。

とここまで書いたものの、冒頭に申し上げたように、私には、ネット右翼がなぜ、ああいうことを言い続けるのか、直感的には、まったくわからないのが本当のところなのである。だから以上のこともまったくの推測外れかもしれない。

 

日本人は「こわがり」すぎ~選択制夫婦別姓

夫婦別姓、私は、この話題になると非常に奇異に感じることがある。それは、反対している人が意図的、感覚的問わず「これからはすべての夫婦が別姓になる」というふうに受け取ってるように見えることだ。「選択制夫婦別姓」なのだが。

どちらにせよ、私には、自由選択制度にこれだけ反発するのは、日本人の「こわがり」さの反映に思える。日本人は、全体が大きなものに一律に律されていないと、社会秩序が壊れるとすぐに不安になってしまうのだ。

この日本人の警報センサーの超敏感さ、そしてすぐに騒ぎだす体質は、今後も変わることはないだろう。というのも、日本人は、畢竟それが「いいこと」だと信じているからである。「義務」いや「使命」とすら考えている。それは日本を守ろうとすることだ。自分たちを守らんとすることだ。なんで悪いことであろうか?

しかし本当に「いいこと」なのだろうか。この考えは、ともすれば「自分の安全さえ保証されればいい」というエゴイズムに堕しかねないものである。

いや、日本人はそれがエゴイズムであることを知っているのかもしれない。だから、それは正しいことなのだと自分に言い聞かせるために「✕✕国は日本を侵略しようとしている」とか、「日本人は特殊である」とか言い出すのではないか。こういう弁明も「こわがり」の特徴だ。

恐怖心というのは、上述したとおり「危機を事前察知するセンサー」であり、人間が生きていく上で必要なものだ。しかし、「必要以上にこわがる」と「こわがり」と呼ばれる。どこまでが「必要」というのは難しい話だが、「そうすることにより『本来の目的』が阻害されるほどこわがってしまう」のを「必要以上」といっていいだろう。そして人間においての『本来の目的』とは、喜ばしい、あるいは、充実した生をおくることではないのか。(

)日本人の「こわがり」度はそれを阻害するまでに至っていやしないか。もっとも、日本人は、喜ばしい、充実した生をおくることを人生の目的とは考えていないのかもしれないけど。

 

太平洋戦争・開戦の判断基準は「大日本帝国」の看板をおろすか否かだった

なぜ日本はアメリカとの戦争を避けることができなかったのだろうか? 

この疑問の核心は、おそらく次の部分にあるのだろう。

負けると分かっている戦争はやめておこうという至極かんたんな現実的判断がなぜできなかったか

個人、特に若者であれば、ときによっては「プライド」やら「意地」で、負けると分かっている喧嘩をやることはある。しかし、いやしくも当時すでにして先進国であり、優れた頭脳を持つ人間たちをトップに立てていた国家が、なぜにして、国力にして10倍、科学技術力も工業生産力も、資源も人口も上回る国と戦争するという理屈にあわない判断をしたのか。

もちろん、未来は不確定なのだから「絶対に」負けると決まっているわけではない。また当時、皆が、はっきりと「負けると分かっていた」わけでもない。むしろ一般国民のレベルでは、「アメリカ人は贅沢に慣れて惰弱であり、物をたくさん持っているだけにすぎぬ。開闢以来不敗の神国たる日本が負けるわけがない」という教育、喧伝がなされていた時代だけに、そのとおりに考える者は多くいた。少なくとも、アメリカに完敗したことを史実として知っている現代日本人と比べると、アメリカの力を低く見積もっていたところが多分にあった。

しかし、政府のほうはさすがに情報も持っていたし、アメリカとやるのはまずいと考えていた。快進撃を続けるドイツが、ソ連に勝ち、返す刀でイギリスを斬れば、残る枢軸国側の大敵はアメリカだけだ。が、それが希望的観測にすぎぬことも承知されていた。アメリカに勝てる根拠がほとんどないことは、アメリカを仮想敵国とし、アメリカの強さを分かり抜いていた海軍はもちろん、「アメリカは大陸から兵を引けというが、そんなことは絶対できん」と言い張り続ける陸軍にしても、開戦の9か月前には戦備課で国力による比較検討をして同じ結論を導き出していた。他の閣僚たちの不安は言わずもがな。だから不思議なわけだ。彼らは何を考えて開戦を決めたのか?() 

)陸軍が「絶対引かぬ」と言い張り続けるのであれば、アメリカは石油の禁輸を解かないので、日本は東南アジアの油田を力で奪いに行くしかなくなる。そうなればアメリカと戦争だ。これも分かっていた。ならば陸軍がおかしかったんじゃないかといいたくなるが、ことはそう簡単ではない。確かに軍部には戦争も辞さずと強気一辺倒の者らが多くいたが、一方で陸軍は、対米戦の主役となる海軍が「アメリカに勝てる見込みはない」というなら、大陸から兵を引いてもいいと考えていたのである。これは、それなら、陸軍は己がメンツを傷つけぬまま、「引く」ことができるという計算からだったが、ともあれ陸軍は、アメリカとやるかやらぬかはその先鋒となる海軍が最終的に決めることだと考えていた。海を隔てての敵なのだからこれはある意味正しかった。

ところが海軍は、「勝てる見込みはない」とついに発言することはなく(1939年、第2次世界大戦が始まる直前に、時の米内海相が、日本海軍は英米海軍と戦えるようには整備されていないと発言しているがそれが最後だった)、1941年6月、ドイツがソ連に攻め込んだあたりから、やるなら物がある今しかないと言いはじめたのであった。それは、陸軍と同じくメンツ、そして同じく若手中堅の血気もあったが、ドイツに呼応してソ連を挟み撃ちにしよう(いわゆる北進論)という意見に抵抗するためでもあった。ソ連に攻め込んだら、アメリカが参戦することが見込まれた。そうなったら南北2正面戦争だ。海軍は南、つまり対米戦のほうが主になるが、北に戦争資源(特にこの場合は鉄)をさかれてはとてもアメリカと戦うことなどおぼつかない。だから海軍としては、「やる」なら南進、すなわち対米戦に限定してもらわないと困るというわけだ。

また海軍には、零戦、戦艦大和、そして米海軍の数を超える空母など、質としては当時、世界最高クラスの新兵器がそろったこと、アメリカは中立法の影響で戦争準備が遅れていて、太平洋に限れば日本海軍のほうが現戦力では上回ったということもあった。また、「アメリカと戦争になるかも」ということで戦争準備をしているうちに(出師準備といい、かなり大掛かりなもの)、士気、いわば戦争したさが高まってしまっていたのもあった。さらには、日本海海戦以来35年も海戦をしておらず、陸軍の大陸での暴れっぷりを見ながらフラストレーションがたまっていたこともあったかもしれない(航空部隊などは日中戦争に参加していたが)。しかしそれでも、優位に戦えるのは、せいぜい1年くらいの話で、2年後にアメリカがその国力を発揮した軍備をそろえてくるのは、海軍自身が一番分かっていたことであった。つまり陸軍のみならず、海軍「も」おかしかったわけである。「引く」と言わぬ陸軍。「勝てぬ」と言わぬ海軍。

当時、そういった陸軍、海軍、それぞれの言い分を統括して判断する人間、最高意思決定の部署があればよかった。ところが、五・一五事件や二・二六事件という軍部のテロリズムを経たのちの日本には軍部に物申せる者はいなくなってしまい、首相も、武力拡大主義に追従するだけとなっていた。「準備とタイミングがあるのだから、やるならやると早く決めてもらなければ困る」という統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)の発言は、専門部署としての本音でもあったろうが、もはやこれに対し「統帥部としてはそうだろうが、それをしてやるかやらぬかを決めるのは本末転倒である」と抑えれる人間などいなくなっていたのだ。

そもそもこのとき、首相が国家意志決定のまとめ役だったとしても、国民に対し、「アメリカとのっぴきならぬ関係に陥ってしまいましたが、太平洋の平和のために、大東亜共栄圏構想の実現は今回は見送り、大陸から兵を引くことによって、またアメリカに石油を売ってもらうようにします」と言えたかどうか。ここまで、指導者側が国民に対し、強い日本となるための我慢と犠牲を強い(すでに日中戦争の段階で、国家総動員法、大政翼賛会での統制、食料配給制などは始まっていた)、日本は神国、日本軍は強いなどというほか、外国とことあるごとに向こうのほうが悪いと言い続けてきたのである。対米開戦前も「交渉、アメリカ誠意なし」と新聞に書かせ続けていた。ここにきて「アメリカの条件を飲んで戦争は避けます」などと言えば、今までのは全部何だったのか。黙っていないのは血の気の多い連中ばかりではなかっただろう。

国民にごまかしをし続け、それが習慣となってしまったがために、筋の通った説明ができなくなった。ということは、当時の日本は、指導者層と国民は、政治システムでもって有機的につながっておらず、お互いを制御する相関関係になかったということを意味する。すなわち、外見上は選挙の行われる近代国家であったが、内実は、指導者層が国民をトップダウンで支配する封建国家にすぎなかったということである。このことが対米戦を避けるロジックを展開できぬネックになったのだ。

可視化された政治が行われていれば、国民は、納得したかはさておき、少なくとも説明を聞く姿勢は見せただろうし、支配者側も上記の現実的な説明を行うことをためらうことはなかったであろう。また、逆に名実ともに封建国家であれば、国民にことを極秘にしたまま戦争を強制することもできたのかもしれない。が、かたちの上では近代国家なのだから、新聞ほか、いろいろな情報媒体もすでにある。もう国民に対して、ことを黙っていることも、また国民側からの声を無視することも不可能になっていた。すなわち国民のほうも、郵便投書などを使って、刹那的な強気の態度を匿名のまま、いい気になって無責任に表明できた。この「いい気さ」には、日本が島国で対外戦争による戦禍を受けたことがほとんどないことも与かっていただろう(誰も長距離重爆撃機により日本の主要都市のほとんどが焼け野原になるなんて想像していなかっただろう)。しかし責任を負わない民主主義などないのだ。いわば、日本は近代国家としてニセモノだったがゆえに、対米戦を避けるという合理的判断がとれなかったのである

そうであれば、問題は次に移る。なぜ、日本はこんな統治形態の国になってしまったかだ。これは、それほど考え込むことではない。幕末、日本は欧米列強の圧迫を受け、強制的に開国、そして不平等条約を結ばされるという屈辱を受け、彼らに対抗せんと、急速に近代化(欧米化)を進めた。ここに根元があったとたいていの人が思い至るだろう。

明治開化のとき、明治元勲たちは、国民を巻き込んでの国造りの議論などせず、自由民権運動を圧迫しながら、一方的に国づくりを進めて行った。ここで日本はもう近代国家になるための条件を落としていたのだ。それは一見、近代国家化に見えたが、その内実は富国強兵だった。すなわち「強い日本」になること。それは「大日本帝国」というスゴイ名前に象徴されているものであった。それは世界覇権帝国という意味ととってもあながち間違いでもない名称だ。「世界」がいきなり大げさすぎるなら、まずはアジア覇権帝国! どちらにせよ、そうあることは日本の野望、悲願であり、そして悲願はすべからく達成されなくてはならぬ。いってみれば、対米戦をやるかやらぬかの判断基準は「勝てるか勝てないか」ではなく、「大日本帝国の看板をここで下ろすか下ろさないか」「覇権帝国たる野望をここであきらめるかあきらめないか」「かつてアメリカに受けた屈辱のそそぎをここでやるかやらないか」にあったのだ。日本は世界一(まずはアジアの盟主)であるべきだからアメリカとも戦うべきである。それに、ここで引くことは、黒船のときに続き、またも戦わずしてアメリカに屈すること、再び、あの屈辱をなめること、明治開化以来の努力のすべてが水の泡、元の木阿弥となることだ。そんなことは絶対にあってはならぬッ!!

こうして、アメリカとやればほぼ負けるだろうから、彼との戦争はやめておこうという現実に基づく判断よりも、日本は欧米に負けぬ世界の強国でなければならぬのだから、アメリカと戦ってこれを打ち破られねばならないという理想(非現実的)に基づく判断のほうが採られてしまったのだ

あとは、南方の油田地帯を占領してしまえば長期戦を遂行することができるという予測データやら(実際には戦争後半になると日本の輸送船は次々と米潜水艦に沈められ石油は日本に来なくなった)、彼我の物量差は大和魂で埋められるなどの「やれる」見通しを並べて、最後の反対派を黙らせるだけだった。もっとも反対派も「アメリカとはまずいんじゃないか」と考えていただけで、日本の拡大については肯定していたので、あまり黙らせるのに労力も要らなかった。

現実をしっかりと見据えるのではなく、「こうあらねばならない」「こうあってほしい」という希望的観測で行動を決めてしまうのは、鎖国で外国(いわば外にある現実)との交流・かけひきを拒み続けてきた日本人が自ら培ってしまった悪癖である。アメリカ兵より日本兵のほうが強いなどという思い込みも、何ら現実的根拠のない信念にすぎない。

とはいうものの、明治時代までは、まだそれほど日本の判断は、非現実的なものではなかった。アメリカの要求に従い開国したのも、アメリカには勝てぬと判断したからだし、大国ロシアとの戦争なども、ロシアが朝鮮半島を狙いだしたので、それを阻止するというむしろ防衛的な目的で行われたものだ。たしかに朝鮮半島を自分のものと考えるのは日本のエゴイズムであるが、イギリスの支援などもあったし、判断自体はそれほど現実から遊離していない。ところが、昭和の戦争となると、満州事変にしても日華事変にしても、火急の、あるいは計画的な目的などはなく、まさに暴走、ただ拡大のための拡大のような戦争となってしまうのである。すでに言ったように、悪いのは向こうであるという説明が国民にはなされた。

なぜそうなったか。それはすでに申し上げたように、合理的な損得計算の判断を下す国家の意志決定の中枢がなくなってしまったためだ。明治までは日本を文明化した元勲たちがかろうじてその役割をになっていた。ところが、元勲たちの「合理性」にも限界があった。その理由はすでに述べたように、元勲の本当の目的が「近代国家化」ではなくて「富国強兵」にあったためだ。だから元勲たちが滅んだあと、残ったものは「強い日本たれ」とのスローガンだけで、軍部が台頭したのも当たり前のことであった。構造的には首相がリーダーとなるはずであったが、首相たちは、「日本のことを考えてない」、「私腹を肥やしているだけだ」、「統帥権(軍を動かす権利として天皇にのみあると大日本帝国憲法では定められていた)を干犯している」などと非難され、右翼主義者や軍の青年将校に暗殺されていき、首相職はすぐに有名無実のものとなってしまった。

また国民にしてみれば、「強い国たれ」とのスローガンのために我慢を強いられてきた。日本は島国で、支配者による一元化、一丸化の圧迫からは、物理的にも、精神伝統的にも逃げにくいため(それゆえアジアでもっともすばやく欧米化もできたのだが)、国民は自由を得ることを諦めて、その圧迫の根拠、すなわち「強い日本であれ」「欧米を追い越せ、打ち倒せ」という方向でその我慢の鬱憤を爆発させやすい。対米海戦もそうだが、首相暗殺もまたその爆発のひとつ、その前触れなのであった。いわば「強い日本であれ(領土拡大)」ということが、日本の方針であるべきと決まっており、国民はそのために我慢と努力を重ねてきたのだから、今さら、避戦方向に国をもって行くという判断をする指導者、政治家など不要、というか、むしろ邪魔だということで首相はあやめられていったのだ。

さらに、支配者側にしてみれば、そのように国民を抑圧してきたのは自分たちであるがゆえ、国民のそういった攻撃性が自分たちに向くこと、すなわち、暗殺も含めて、弱腰批判、民間クーデターなどを恐れるようになってしまい、より強く「強い日本であるという国是」の方向で物事を進めだすこととなってしまった。そうなると、理性的な制御装置の確立は、いよいよなされなくなる。もはや大日本帝国を統べるものは、「強い日本であれ」という国是であり、「強さ」を担う軍部となる。軍部、すなわち戦争屋のやり方でものごとのすべてを解決する国となる

これでおしまいだ。軍部の中堅幹部には、「勝てるか勝てないか」などは二の次で、「とにかくやるのだ」で凝り固まっていた者もいたらしい。戦争とは基本、若者がやるものである。中堅エリート幹部。彼らこそが、日本を戦争に向かわせた1番の具体的勢力、戦争に向かう力をもっとも顕現した人間であり、現場を実際に支配している軍部の実体でもあった。中堅層は名前が表に出てこず、責任も責任感もあまりないので、かえって好き勝手ができ、その若いパワーで上層部をつきあげることもできた。このような者らが何も掣肘されることなく跋扈する国となってしまっては「戦争ごっこ」のように戦争が開始されてもおかしくないというものであろう。しかし、これは、彼らに責任があったということではない。近代軍隊を作った限り、誰かが彼らとなったはずだからである。近代軍の軍人はみな官僚なので結局、個人の自由意志的存在ではなく、全体の中での匿名的存在なのがその本質だからである。

このように意志決定の政治中枢がなく、戦争ゲーム屋が牛耳る国となったので、満州事変を皮切りに再びはじまった領土拡大は、無制限、無統制のものとなったのだった。そして無制限の拡大を続けていけば、地球はひとつなのだから、やがて世界最強国とバッティングしてしまうのも当然のことであった。そしてこともあろうに、その最強国との交渉中に、南部仏印進駐というさらなる拡大行為を行い、とうとう「日本の東南アジア支配の野望はもはや明らか(実際、大東亜共栄圏構想など、日本はそう計画していた)」と当の相手に石油の禁輸を食らってしまったのだった。前年の北部仏印進駐でアメリカに屑鉄等の禁輸措置をうけた時点で、新聞には「次は石油か」と書かれていたくらいなので、南部仏印進駐は戦争をするための確信犯行為でやったという説もあるが、たとえそうでなかったのだとしても、即座に「待った」をかけ、「今のはナシ」と言うこともまた、上でみたとおり「強い日本であれ」との国是(とそれを象徴する強硬派)と、国民に対するメンツとにはさまれて口に出せないものとなっていた。かくて日本は、引き続き、無制限の拡大方向の道をそのまま進んでいったのであった。

無制限の拡大を続ける、それは攻め続けるということである。事実、日本の昭和の戦争はひたすら「攻め続ける」「突撃し続ける」ばかりであった。それは対米戦初戦の真珠湾攻撃もそうであったが、アメリカに押し返され、敗北が決定的となったときも日本軍がとり続けた道であった。すなわち特攻に万歳突撃である。最後に計画されていた本土決戦ですら「これは防衛ではなく攻撃である」と要綱案に書かれていたのである。アメリカと戦争すること自体が特攻のようなものであったからこうなるのは必然であった。

以上をまとめると、冒頭の「なぜ負けると分かっている戦争はやめておこうという至極かんたんな現実的判断がなぜできなかったか」の理由は、外国は敵だと自閉していた引きこもりが外国による強制開国という屈辱を受け、それを晴らすために「強い日本」であろうと領土拡大を開始したが、その勢いが国政における制御装置をも存在せしめなくしたためということになるだろうか。

となれば、原因の「核」は、冒頭で述べた個人の場合と同じく「プライド」「意地」ということになるのだろう。特に日本は島国であることをいいことに、自分たちだけで閉じこもり、プライドを純粋培養してきた過去を持っている。ゆえにそれは他国より、より強烈なものとなってしまった。そういう意味では、「自閉性」こそが、対米戦を避け得させなかった究極の原因ともいえるだろう。

しかし日本人のこのような性癖は己を知ることでコントロールが可能になるものでもある。そして今後われわれはそうしなければならないはずである。だが、一元化、一丸化、軍隊的制度や抑圧教育、国家意思決定の中枢の欠如などはいまだ続いている。それは結局、戦後も「強い日本であり続けるという国是」が「武力によって」から「経済力によって」に代わっただけで、生きながらえてしまったからだろう。昨今の「日本スゴイ」も結局のところ「日本強い」のヴァリエーションにしか見えない。そしてまた、国民が、匿名のままいい気になって強気の意見を責任も背負わずに放言することもネットによって日常茶飯事になっている。

日本人はいまだ、「強い日本であり続ける」という強迫観念から解放されていない。

 

 主要参考文献

参謀本部編『杉山メモ』

軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌』

朝日新聞社編『朝日新聞縮刷版』

新名丈夫編『海軍戦争検討会議記録』

防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書』

戸高一成『[証言録]海軍反省会』

宇垣纏『戦藻録』

木戸幸一『木戸幸一日記』

朝日新聞社編『失はれし政治 近衛文麿の手記』