たまきちの「真実とは私だ」

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ミッドウェイ海戦1番の敗因~鎖国引きこもりのツケ

大敗北を喫したミッドウェイ海戦の敗因については複数の原因があげられているが、その1番根本のものは何だったのだろうか? 私がこれを気にするのは、ミッドウェイの大敗にこそ日本人の1番の弱点、少なくとも外の世界と相対したときの最大の弱点が出たと直感するからである。

暗号、つまり作戦を読まれていたことではないのは確かだ。なぜなら事前の図上演習においてミッドウェイ島奇襲中に米空母が出現し(つまり奇襲が読まれて)、2隻の日本空母が撃沈されるという結果が出ており、ゆえにそのための対策もとっていたからである。つまり作戦当日、索敵機を東方向の海域に飛ばし、第2次攻撃隊は対艦兵備で待機させていた。しかし2正面戦闘になった場合の具体シミュレーションまではしていなかったため、日本の空母部隊は第2次攻撃隊を懐にかかえたまま、防戦一方のなかに壊滅した。これならば敗因は「暗号を解読されていたから」ではなく「暗号を解読されていたときの(つまり米空母に待ち伏せされたときの)対処方法がおざなりだった」というほうが正しかろう。

とはいったものの、本当におざなりだったと言えるだろうか。結果として1番まずかったのは、島と空母という2種の敵との2正面戦闘――具体的には、ミッドウェイ島を空襲した第1次攻撃隊の収容と、敵空母発見が同時になってしまい、そのため敵空母攻撃のために待機していた第2次攻撃隊を出せず、艦内に攻撃隊という爆発物を抱えるかたちで敵の攻撃を受けつづけることになってしまったことにあるわけだが、そのようなことを避けるために「引いた」事前シミュレーションなどできたかといえば、あの時点では無理だったと思う。空母同士の対決は1か月前の珊瑚海海戦に続いてまだ史上2度目のことで(南雲部隊としては初めてだった)、しかも日本の空母機動部隊は開戦以来一方的な攻勢を続けてきていたのだから、「引いて」の事前シミュレーションなど思いもよらぬことであったろう。思いもよらぬのならどうしようもない。そもそもミッドウェイ作戦はかなり強行的におこなわれたものである。強行するのだから、引いた考えなどしないのもまた道理である。

となると「強行」したこと自体が間違いであったというしかない。実際、上記の図上演習の結果からもやるべきではないという意見は出されていたのである。しかしその意見は吟味されることなかった。索敵機を出すことと、第2次攻撃隊の対艦装備での待機だけでよしということにされたのである。

かといって海軍は、よく言われるように緒戦連勝で図に乗っていたためにミッドウェイ作戦を強行したのでもなかった。やらねばならない心理的な理由があったからだ。

それは1か月半前、米空母にまさかの本土空襲をゆるしてしまったことにある。それはまさに、まさかであった。開戦以来こっちが一方的に押しまくっていたのに、突如、ブラインドサイドからの奇襲! 国民は海軍に不信の目を向ける。陸軍は怒るか嘲笑うか。そこで海軍は「米空母をすぐに殲滅しなくてはならない!」と色めきだってしまったのだ。日本人の性格と、アメリカの力の見立てからすれば、「怒った」というより「動揺した」というほうが当たっているように思うが。ともあれそれで、見送っていたミッドウェイ作戦の実施を「急遽」決めた。ミッドウェイ島を攻略するなら霧の出ない6月がよく、それがすぐだというのもあった。

この作戦は危険――なのに、すぐにやらなければという焦りによって動いていく状況。いよいよまずい。しかも上記の通り、一方的攻勢を続けていたがゆえの「引いて」考えることのできなさ、また一目散に陸軍も巻き込んでの海軍艦艇総出動でミッドウェイ島攻略準備をはじめたために、もはやバタバタの状態で、こまかいところまでチェックできない状態になってもいた。さらに日本の空母機動部隊は開戦以来ほとんど休まず西に東にと戦ってきて疲労がたまってもいた。

このあわただしさの中である心理が生まれたのだ。すなわち「今度もきっとうまくいくさ」という楽観論への傾斜である。希望が予測にとって代わる。よくある話だ。今度も奇襲は成功するだろう。敵空母はまず出てくるまい。出てきたとしても対策は打っている。何も問題なし! 

外の条件を切り捨て、自己都合だけの解釈に走った。ここらトップの無茶な思いつきに批判が許されない日本の慣習にも原因があろう。米のニミッツ大将も珊瑚海海戦で大破した空母を3日で修理してミッドウェイに間に合わせよと強引な命令を出したが、これは命令が明確な点で次元がちがう話である。

ともあれ、ミッドウェイ作戦は大きなリスクが内包された作戦であったのであり、それを「強行」したのが間違いだった。しかし実は日本海軍は、真珠湾攻撃自体がそうだが、開戦以来ずっと奇襲する、強行する、攻め続ける、この一点張りで来ていたのである。ならば、日本海軍の「とにかく攻めて攻めて攻め続ける」という攻撃至上主義の姿勢にミッドウェイ作戦強行の理由、つまりその敗因の根本があったと言わざるを得ない。攻撃至上主義だったからこそ本土空襲に動転し、ミッドウェイ作戦というさらなる前進攻撃を企図した。攻撃至上主義だったからこそ空母機動部隊の守り、弱点への配慮もゆるがせにしていた。すなわち空母はすぐ炎上するゆえ攻撃隊はすぐに発進させる必要がある、脆弱である空母を集中させているのは一網打尽にされるゆえきわめて危険であることなど危険要素の研究をおろそかにしていた。

日本海軍は真珠湾以来、攻め続けることしか考えておらず、奇襲なるものは常に危険もともなうもの、つまりバクチであるということを自覚してなかったというほかはない。奇襲大成功の筆頭たる真珠湾攻撃などもじっさいには2正面戦闘になる危険性があったものであり、やはり事前に反対意見が出ていたものである。

なのに真珠湾攻撃は成功し、ミッドウェイは大敗北となった。なぜか? かんたんな話だ。つまり、1回目のバクチ(戦いではなくバクチ)には勝ち、2回目のバクチには負けた。それだけの話である。幸運と不運はこれでイーブン。サイコロの目の出る確率はいずれすべて1/6に落ち着く。神様は平等な采配をしたにすぎないわけで、つまりミッドウェイ作戦は日本海軍の大バクチが、とうとう失敗を迎えたにすぎないものだったといえるのである。バクチは続けている限り、いつかは失敗する。あとの細かい理由はすべて副次的なものでしかない。成功したミッドウェイ作戦が真珠湾攻撃で、失敗した真珠湾攻撃がミッドウェイ作戦なのだ

ではなぜ日本は大きな賭け、負けたときには大損害をこうむるバクチ作戦を続けた、攻め続けてばかりいたのだろうか? 

よく言われている早期講和狙いのためであったとは思えない。早期講和狙いは当初案として出、また、戦争をやりたくてしょうがない連中の方便としては使われていたものの、いざ実際に開戦すると、長期戦になるとのコンセンサスで陸軍も海軍もほぼかたまっており、早期講和(早い話がアメリカの早期降伏である)などという都合のいいことを信じている者は誰もいなかった。早期講和論の中心人物と目されていてる連合艦隊司令長官山本五十六でさえ、開戦すると「この戦は未曾有の大戦にしていろいろ曲折もあるべく」と長期戦の決意をしたためているのである。

日本の本命であった南方の資源地帯占領のために、もっとも邪魔な米の太平洋艦隊を殲滅するためであったとも考えられない。なぜならハワイは東南アジアから遠すぎて邪魔になどなってないからだ。実際、アメリカが真珠湾攻撃にまったく無防備だったのは、ハワイは日本の南進(それが日本の本命であることはアメリカも分かっていた)の邪魔になどなってないとアメリカ自身が考えていたからである。実際、米空母は真珠湾攻撃を避けれて無傷だったわけだが、開戦したのちも日本の南進の邪魔はほとんどできていない。せいぜいラバウルを空襲したくらいで、ずっとハワイの近くを守っていたのである。空母同士の対決が生起したのは珊瑚海まで日本軍が進撃しきってからのことであった。

すなわち日本が真珠湾攻撃をした理由は、ただ単純に、緒戦不意打ちの大奇襲で敵を漸減できれば美味しい、痛快と考えたからにすぎない。つまりここでも浮き彫りになるのは、攻撃のための攻撃、ひたすらの攻撃至上主義である

私はさんざんバクチという言葉を使ってきたが、真珠湾にしてもミッドウェイにしてもバクチであって賭けではなかった。賭けとは熟慮の末、最後に飛躍して「賭ける!」と決断するものだ。真珠湾にしてもミッドウェイにしても「これは賭けになるが、われわれの最終目標を達成するにはこれしかない。だからイチかバチかやってみよう!」という感がない。危険要素に対して盲目状態のまま、ただひたすら前に出て相手を殲滅する、そのことしか頭になかったとしか思えないのだ。賭けではなくバクチであったという所以である。

ならば、これはもう合理的な理由を探し求めても仕方がなく、戦争だから突撃したという説明に落ち着くしかないのではあるまいか。、強大な敵であったからこそなおのこと突撃を繰り返したというのもあるかもしれない。そもそも対米戦争自体がバクチであり、思考停止の突撃ではなかったか?

そうならば日本はたしかに12歳であったというしかないだろう。当時の日本にはその原始的欲望を抑制する国民的理性も欠けていたのだから。長く武家政権、武力による支配を続けてきたので、欧米からは近代軍備を学ぶことだけに執心してしまい、理性を国家システムに組み込むことに関しておぼつくことがなかった。それは武力支配主義者たちによるたび重なる暗殺行為、検挙、恐喝で阻止されてきた。

「鬼畜米英」と叫ぶほどまでに英米を憎んだのも、結局は幕末時と同じく、またも欧米が日本の自由を奪おうとしたからである。日本は長い鎖国により外国の言いなりになるのは極端に嫌う国にもなっていたゆえに攘夷感情も強くならざるを得ないという運命を抱え込んでいた。いわば、日本は長き自閉による歪み、外部世界とのつきあいに背を向けていた引きこもりによる未熟のツケをいっぺんに対米戦争で払わされたといえるのである。

そのツケの第1回支払いがミッドウェイ海戦なのであった。上述したが、この海戦において日本海軍は敵がどう出るかを考えず、自分たちはうまくいくとほとんどアプリオリに思いこんでいた節がある。こんなことでは、50年間対外戦争にあけくれた近代日本は、力をつけたので、とうとう頭をおさえつけてきた番長相手に大喧嘩をはじめた子供と同じであったといわれてもしかたがあるまい。

日本の近代史の根元となったこと、つまり、俺たちゃ外国とはつきあわないよというのが勝手な行動になるのか、それとも無理やり開国させ、不平等条約を押しつけてくるほうが悪いのか、それは今は論じない。ただ言えるのは、閉じこもってしまうと、どうしても外交オンチになる、外とうまくつきあえなくなる、自分の気持ちや内側ばかりを重視して、外部の条件を無視しがちになる、ゆえにひいてはミッドウェイのようなミスをも犯してしまうことにもなるということである。

やはりこれは日本人の外に向いた時の1番の弱点ではなかろうか。