たまきちの「真実とは私だ」

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栗田ターンはまちがっていない~日本人の誹謗中傷癖

ネットにおける有名人への誹謗中傷が問題になっているようだが、ミリタリーオタクのあいだでは、別にひどいことをしたわけでもないのに、いまだ誹謗中傷されつづけている旧帝国軍人がいる。1944年のレイテ沖海戦において、レイテ湾突入前に突如Uターン(俗に栗田ターンなどとも言われる)して引き返した栗田艦隊の栗田提督だ。私はこの栗田の判断は致し方ないことだったと思う。なのにまるでバッシングする好餌と言わんばかりに非難され続けている。ここら現代日本人の誹謗中傷好きとも大いに共通点があると思うのでひとこと言わせていただきたいと思う。

まずなぜ、私が栗田の判断が致し方ないものだったかということをご説明しよう。レイテ沖海戦における作戦は、同じく大敗を喫したミッドウェイ海戦同様、目的がはっきりしていなかったからである。つまり「連合艦隊は総力を挙げてレイテ島に上陸した敵を撃滅せよ!」――これが発された命令であったわけだが、敵はもう5日も前に上陸しちゃったあとなのである。もう軍艦にできることは上陸部隊の護衛艦隊と戦うことしかなかった。なのに「連合艦隊はレイテ島に上陸した敵(つまり陸上部隊)を撃滅せよ!」――無茶を言っている。

なぜ作戦目的が無茶なものになったのか。それはもう戦いによる実質効果として目指せるところなどなくなってしまっていたからだ。マリアナ沖海戦に大敗した日本はついに「絶対国防圏」を突破された。空母部隊は壊滅し、日本本土が長距離爆撃機B29の射程に入れられた。もう戦争の趨勢は決した。なのにまだ戦争を継続しようとした。つまりこのレイテ沖海戦での日本海軍の本音は、作戦という名にかこつけて「海軍の残存軍艦は戦って美しく散ってこい」というものでしかなかったのである。事実、航空機による特攻が開始されたのもこのレイテ沖海戦からのことだ。しかし水上艦隊にははっきりと「死んで来い」とは言わなかった。ここでもう作戦というか「何をやるのか」が破綻している。

そんな作戦のための作戦だから、そのシナリオはきわめて観念的なものとなった。残った空母を囮として(もう空母の離着艦のできるベテランパイロットはほとんどいなくなっていた)敵艦隊の主力を北にひきつけ、その隙に東と南の2方向からレイテ湾に戦艦、巡洋艦を突入させる――タイミングのとり方が難しすぎる作戦である。海軍大学校で成績のよかったエリート参謀が学校で学んだ作戦理論を駆使し、頭の中だけで組み立てた作戦といった感がありありで、ミッドウェイよりさらに自己完結的な作戦になっている。マリアナ沖海戦のアウトレンジ作戦もそうだが、日本海軍のここぞのときの作戦は子供がゲームをやってるような非現実的な作戦が多い。

そんなものに現実の艦隊は最後までつきあえなかった。東から突入する栗田艦隊は戦艦大和、武蔵を擁し、突入の主力部隊であったわけだが、すでに出撃以来、パラワン水道で重巡3隻(10月23日)、シブヤン海で武蔵(10月24日)、サマール島沖で重巡4隻(10月25日)を失い、かつ、先に南からレイテ湾に突入しようとした西村艦隊は10月25日未明にスリガオ海峡で全滅し(本当は栗田艦隊と同時に突入する予定だった)、それを見て恐れをなした志摩艦隊も「突入を中止する」と打電してきてこれも撤退していた。まだ大和は健在だったが、レイテ湾突入部隊はもう出撃時の半分以下の戦力になっていたのである。

通常、作戦部隊の3割が戦死すれば「全滅」、すなわちもはやその作戦のためにその部隊は機能しないと言われる。栗田艦隊がこの時点で「今回も完全に負けだ。やつらのほうが数段上だ」と判断し、撤退したのはむしろ的確な判断であった(ちなみに実際このときレイテ湾にいた米艦隊の戦力は栗田艦隊のほぼ2倍だった)。これはどこの国の指揮官でもそう判断したと思う。いや、出撃自体を拒否したかもしれない。しかし現在、日本ではこの栗田の行動は、命令違反、怯懦ということで非難され続けている。

これには日本人特有の理由がふたつあると思われる。ひとつは特にミリタリーオタクの視点からなのだが、戦艦大和が敵戦艦との砲撃戦を演じるただ一度の機会を逸したということ。そしてもうひとつ、こちらは日本人一般に関する話だが、日本人は現在も上から無理難題を押しつけられながら生きているので、無理難題を無理難題としてやらずに済ませた栗田、ほかの者が特攻したのに特攻しなかった栗田が許せないということである。撤退する大和の艦内は明るさに満ちていたという。栗田を非難をする人はこのとき大和乗員の一員だったとしても栗田を非難できたというのだろうか? 「でも軍人なんだから」という人は、軍人ということにかこつけてるだけだ。もっとも「日本人男性は軍人」というのは世界中で言われていることだから、いまだ軍人的発想しかできないのかもしれないが。

栗田は戦後、Uターンの理由についてつまびらかに語るのを避けた。本来なら、海軍の中央をまともに批判することになり、また先にUターンした志摩提督をあげつらうことにもなってしまうのだが、上記のように言えばよかったのだ。ところが、自分の意志でものごとを決めてはいけない日本人の悲しさ。敵機動部隊が北に出現したという情報が入ったのでそっちの敵に戦いを挑みに行ったとUターンの『理由』をでっちあげてしまった。これは、レイテ湾突入前に敵艦隊と遭遇したらそちらと戦っていいのかという現場部隊の問いに、軍令部のほうがしどろもどろながらも是と答えたからでもあるのだが、あきらかに敵が北に現れたというのはウソである。Uターンそのものより、このウソをついたことのほうが誹謗を招く結果となったといえると思うが、しかしそのようなウソをでっちあげないと、まともな行動がとれない国なのだから仕方がないというものではあるまいか。真実・本音を言うその道をあらかじめふさいでおくことこそ卑怯であり、そういうふさがりがデフォルトになってる文化性こそ問題ではないのか。

もっとも抑圧を発散させんとしている人間には何を言ってもムダなので、これからも栗田提督は悪口を言われつづけるのだろう。そして今日、有名人に対する誹謗中傷がなくならない理由も結局同じだと思う。自分が国や学校や企業といった権力にいじめられ抑圧されすぎていて、しかもそれらに逆らう度胸はないので、自分たちが我慢していることをやってしまった人間を徹底的にいじめるという方向でしか、それを発散するすべがないのだ。

日本人が寛容でないのもすべてはこういうところに理由があるのではないか。