ネットにおける有名人への誹謗中傷が問題になって久しいが、ミリタリーオタクのあいだでは、ひどいことをしたわけでもないのに、いまだ誹謗中傷されつづけている旧帝国軍人がいる。1944年のレイテ沖海戦において、レイテ湾突入前に突如Uターンして引き返した栗田艦隊の栗田提督だ。私はこの栗田の判断は致し方ないことだったと思う。なのにまるでバッシングする好餌とばかりに非難され続けている。ここら現代日本人の誹謗中傷好きと大いに共通点があると思うのでひとこと言わせていただきたい。
まずなぜ、栗田の判断が致し方ないものだったといえるかご説明しよう。まずはレイテ沖海戦における作戦は、同じく大敗を喫したミッドウェイ海戦同様、目的がはっきりしていなかったのがある。「連合艦隊は総力を挙げてレイテ島に上陸した敵を撃滅せよ!」――これが発された命令であったわけだが、敵はもう5日も前に上陸しちゃったあとなのである。しかもこちらは4か月前のマリアナ沖海戦で空母航空隊が全滅し、アメリカのほうは大空母部隊が無傷で健在。残った日本の軍艦にできることは何もなかった。上陸を擁護する敵艦隊と交戦できたとしても、敵はこちらの数倍なのだから、連合艦隊の全滅は確実であった。にもかかわらず、飛行機を持たないカラ空母を囮として敵艦隊の主力を北にひきつけ、その隙に東と南の2方向からレイテ湾に戦艦、巡洋艦を突入させようとしたのである。
なぜ作戦目的が曖昧なものになったか。それはもう戦いによる実質効果として目指せるところなどなくなってしまっていたからだ。マリアナ沖海戦に大敗した日本はついに「絶対国防圏」を突破され、日本本土が長距離爆撃機B29の射程に入れられた。もう戦争の趨勢は決した。なのにまだ戦争を続けようとした。つまりこのレイテ沖海戦での日本海軍の本音は、作戦という名にかこつけて「海軍の残存軍艦は戦って美しく散ってこい」という特攻的なものでしかなかったのである。事実、航空機による特攻が開始されたのもこのレイテ沖海戦からだ。しかし水上艦隊にははっきりと「死んで来い」とは言わなかった。ここでもう「何をやるのか」が破綻している。(↙)
(↙)そんな作戦に現実の艦隊は最後までつきあえなかった。東から突入する栗田艦隊は戦艦大和、武蔵を擁し突入の主力部隊であったわけだが、すでに出撃以来、パラワン水道で重巡3隻、シブヤン海で武蔵、サマール島沖で重巡4隻を失い、かつ、先に南からレイテ湾に突入しようとした西村艦隊は突入予定日の未明にスリガオ海峡で全滅との報が入り、それを現地で見て恐れをなした後続の志摩艦隊も「突入を中止する」と打電してきてこれも撤退していた。まだ大和は健在だったが、レイテ湾突入部隊はもう出撃時の半分以下の戦力になっていたのである。加えて制空権はアメリカにあったのだから、勝敗はすでに決していた。実際このときレイテ湾にいた米軍の戦力は主力艦隊でもないにもかかわらず、水上艦だけで栗田艦隊のほぼ2倍だったのである。
ゆえに、西村艦隊と、最初から囮だった小沢艦隊には気の毒なことではあるが、栗田艦隊のみならず志摩艦隊も、この時点で撤退したのは致し方がない判断、否、むしろ的確な判断だったといえるのである。これはどこの国の指揮官でもそう判断しただろう。いや、出撃自体を拒否したかもしれない。
しかし、日本ではこの栗田の行動は、命令違反、怯懦ということで非難され続けている。これは思うに、日本人は現在も上から無理難題を押しつけられながら生きているので、無理難題を無理難題としてやらずに済ませた栗田、ほかの者が特攻したのに特攻しなかった栗田が許せないからである。彼らは「当然だ。軍人だから命令を守らないのは悪」という論理を盾に取る。現在のネットでの誹謗中傷者たちと同じ大義名分固執論法をとるのである。作戦自体の無謀性はかえりみることなく。
栗田は戦後、Uターンの理由として、敵機動部隊が北に出現したという情報が入ったのでそれに戦いを挑みに行ったと語った。これは、レイテ湾突入前に敵艦隊と遭遇したらそちらと戦っていいのかという現場部隊の問いに、軍令部のほうがしどろもどろながらも是と答えたからでもあるのだが、あきらかに敵が北に現れたというのはウソである。Uターンそのものより、このウソをついたことのほうが誹謗を招く結果となったといえると思うが、しかしそのようなウソをでっちあげないと、まともな行動がとれない国なのだから仕方がないというものではあるまいか。真実・本音を言うその道をあらかじめふさいでおくことこそ卑怯であり、そういうふさがりがデフォルトになってる文化性こそ問題であるというものだろう。