たまきちの「真実とは私だ」

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特攻はなぜ行われたか~総力戦の論理と日本人

長い歴史の中で日本人が行ったもっとも恐ろしい行為は、特攻であろう。切腹も恐ろしいが、これは基本的に武士階級に限られた慣習で、かつ自主的にやるものであった。しかも太平洋戦争敗戦時はともかく、腹を切るという行為は歴史的にどれほど行われてきたかは疑問視されており、江戸時代に刑罰として用いられた切腹は、短刀の代わりである扇に手を伸ばそうとしたときに介錯されるというのが通例であったという。それに比べて特攻は、わずか80年前、世界が見ている前で、あからさまに行われたものである。人は追いつめられたところでその本質をもっともあらわにする。特攻こそ、日本人が行ったもっとも恐ろしい行為であるだけでなく、日本人の本質、というか「日本なるもの」の本質がもっともあからさまになったものと言えないだろうか。

特攻とは何だったのだろうか? 

それは単純に新戦法、新兵器だったのだと言えないこともない。事実、特攻の登場経緯はつぎのようなものであった。

緒戦、アメリカは孤立主義もあり戦争の準備をそれほどしていなかったため、十分な準備をしていた日本に対し防戦一方となったが、2年後には、その技術力、工業力をフル稼働させ、質量ともに圧倒的な新兵備を日本の前に並べてきた。そんな日米双方が、持てる力、技術力、工業力、戦闘力を100%出し合って行われた一大決戦が、開戦2年半目のマリアナ沖海戦であった。太平洋戦争では、真珠湾攻撃ミッドウェイ海戦レイテ沖海戦が有名だが、ほんとうに天王山の決戦となったのはこのマリアナ沖海戦である。マリアナ諸島は、それを奪われたら、アメリカの新兵器B29の射程に日本全土が入るために(B29の情報はかなり早くから察知されていた)絶対国防圏と設定されていた場所でもあった。

しかし、アメリカのレーダーを使ったシステム戦闘術、近接信管を使った対空砲火などの新兵器の前に日本軍は完敗した。同盟国のドイツなどは、部分的に英米を超える技術力を持っていたため、ロケットミサイル、自動追尾魚雷、ジェット戦闘機など新兵器を投入して戦えたが、開戦後の日本はアメリカを凌駕できる兵器はひとつも作れなかったのである。マリアナ沖海戦はそれが証明された戦いでもあった。

日本は追いつめられた。そこで考え出されたのが、人間を使った目標指向装置つき爆弾、つまり特攻であった。

特攻は兵器、戦術としてだけで考えるなら、ある程度有効であった。この頃になると、日本軍パイロットはベテランが戦死して技量が下がっていたが、新米パイロットがおこなうなら通常の爆弾投下より特攻のほうが命中率はずっとよかった。特に初期は、相手の不意を打てたことと、優秀なパイロットを投入したのでかなりの戦果をあげることができた。しかしこの最初の成功に調子づいたのがまずかった。戦争の始まりのとき連勝したので調子づき、結果、後戻りしにくくなったのと同じである。そう、特攻は対米戦争の縮図を描いているのだ。逆に言えば、対米戦争自体が特攻であった。

しかし特攻の問題は兵器としての有効性の是非にあるのではない。人の命が最初から犠牲にされる戦法がどうして是とされていったかにある。

まず指を屈せねばならないのは、今さら言うまでもない全体性へ個を埋没させる日本の「伝統」であろう。この傾向が容易に、生命軽視につながってしまうことについては今さら説明することもない。

そんな気質的要因以外に、状況の論理という外的要因もあった。それは絶対国防圏を突破されたのに、戦争を続けたことに見てとれる。上述の通り、敗北必至となったマリアナでやめていたら特攻はなかったのだから

そこでやめられなかったのは、おそらくこれはドイツも同じだと思われるが、近代総力戦固有の論理性のためだったと思われる。もし「軍隊というものは国民の財産と生命を守るためにある」というコンセンサスが当時の日本人にあったら、マリアナ沖海戦の時点での降伏もありえただろう。しかし軍隊、なかんずく近代軍隊というのは、国民ではなく、国家を守るためにあるものなのである。これは日本にかぎらない。漫画や映画では国民を守るように描かれていることが多いが。

特に総力戦という戦争の規模が大きくなればなるほど、国民という具体物でなく、もっとシンボライズされた抽象物1点に、軍隊の守るべきものは集中化させられていく。その抽象物が国家であり、日本の場合、天皇であった。つまり国家の敗北という抽象的敗北を防ぐ。これが日本軍の最終目標であった。だから余力ある限り「負けました」とは絶対に言えなかった。これが総力戦でなかったら、もう少しかんたんにやめれていただろう。アメリカがベトナム戦争で勝利をつかめないままやめれたのは、それがアメリカにとっての総力戦ではなかったからだ。

負けましたといえない――ここに近代総力戦の恐ろしさがある。総力戦は文字通り、「全部」を賭けるのだから、引き出されるべき答は、"All or Nothing"になってしまうのだ。これに比べると、よく言われる軍上層部が負けた責任をとることをできるだけ先延ばしにしようとしたなどという理由は表層的なものにすぎない。

そして「負けましたとは言えない」は、たやすく「戦い続けている限り負けはない」に移行する。実際、戦争中「負ける」は、軍は元より一般国民のあいだでも、絶対の禁句であった。軍部にも、もうこの戦争は終わらせなければならないと考えた人間はいたが、彼らにしても「講和を目指す」という言葉を使い、「降伏する」とは決して言わなかった。今だって敗戦とは言わず終戦と言っているのだから渦中においては推して知るべし。これではどうしようもない。戦争はつづく。ボロボロになるまでつづく。ドイツは首都攻防戦までやり、日本は原爆を落とされるまでつづけた。

神風特攻隊の指揮官・大西瀧次郎中将は最初の特攻が成功したとき「これでなんとかなる」とつぶやいたという。何がなんとかなるのだろうか。1機の飛行機で1隻の空母を使用不能にできる。1人のパイロットの命で多数の敵兵の命を奪える。だからこれからは平等以上に戦えるという意味だったのだろうか。そうではあるまい。飛行機にもパイロットにも限りがあるし、これからは迎撃も強化されるだろう。実際特攻はあとほど成功しなくなった。そのくらいのことは当然予測できたたはずだ。そうではなくて、実はそれは「これで日本人全員が負けましたとは決して言わないだろう道がひらけた。つまりこれで日本の負けはなんとかなくすように持っていける」という意味ではなかったのか? 

特攻が行われたのは、行きつくところまで行かなければ終わらない近代総力戦というものにおいて追いつめられたとき、有効な抗戦兵器として自爆攻撃しかくり出せず、それを追いつめられた時に出る本性、日本人の個滅却=生命軽視という傾向性が是としてしまったためであったからといえよう。主要因は、①総力戦の論理、②技術力の拙劣、③日本人の気質、の3点である。もっとも決定的なものが③であったことは言うまでもない。

しかしいまだ日本では、どこまで本気なのか、特攻隊を崇高なものとし、まるでいつからはそれに続けとでも言う含みのある言葉が聞かれることがある。しかし、特攻はやはり悲惨なのだ。個が抑圧されることも悲惨なのだ。悲惨でないなら、彼らは国を守るというしたいことをして死んだ、したいことができてよかったねで終わりでいいではないか。それで終わらせない、終わらせられないのは、それが実は個人にとって悲惨な行為だからなのだ。そしてそのように誰か個人が悲惨になった分、別の誰かが得をするのである。精神的な意味も含めて、その「得」をえるためにいまだそういうことをいう人間がいるのだ。私は「全体性へ個を埋没させる日本人の気質」と言ったが、この気質はこういう操作と押しつけによってできあがるのが事実であろう。

近代総力戦の悲惨さを学び、また核の時代にもなったがために、先進国間の近代総力戦はもう起こらないと思いたいが、特攻を生んだ日本の気質のほうはいまだ変わってない。また日本人は何らかのかたちで追いつめられたとき、生命軽視の恐ろしいことをしでかさないとも限らないのである。否、昨今の過労死、過労自殺、そしてひっきりなしにニュースとなる列車への飛び込み自殺などが、それではないのか。