たまきちの「真実とは私だ」

事件、歴史、国家の真実を追求しております。芸術エッセイの『ある幻想画家の手記』https://gensougaka.hatenablog.com/もやってます。メールはshufuku@kvp.biglobe.ne.jpです。

三島由紀夫割腹の謎をとく~輪廻転生のおわる日に

  目  次

①序『太陽と鉄』論 ~存在の証としての誕生と死

『仮面の告白』『禁色』論(24~28歳)~生の歓喜たる流血の死

『金閣寺』『鏡子の家』論(29~34歳)~生を阻むものの破壊

『憂国』論(35~39歳)~日常と死の融合

『豊饒の海』論(40~45歳)~書き続けることの暗喩としての輪廻転生

結論:昭和45年11月25日 ~貴種の矜持

 

序『太陽と鉄』論 ~存在の証としての誕生と死

三島由紀夫はなぜあのような異様な死に方をしたのか。あのような酸鼻、壮絶な死に方をしてまでして彼が得たかったものは何なのか。それが説明しがたい理由は、そこに通常の人間の感覚では分かりにくいポイントが秘められているからに違いない。そのポイントとは何か? 無論それこそ難問である。しかし、私は最近、学生時代によく読んだ三島由紀夫を読み返していたさい、そのポイントに関係すると思われるある重大な符号に気がついた。まずはそれから述べさせていただこう。

それは彼の晩年のエッセイ『太陽と鉄』を読んでいるときのことであった。『太陽と鉄』は三島自身が「これをわかってもらえれば自分の行動はすべてわかってもらえる」と語った「告白と批評の中間形態」というエッセイで、難解ではあるが三島が「死の動機」を率直に語ったものであるといっていい。そしてその内容を素直に受け止めるなら、「存在感を得るため」というのが死の動機になっている。

ピックアップしてみよう。まず彼は、自衛隊体験入隊時の或る夕刻、営庭を横切ってひとりで宿舎に戻るときに感じた「万全の幸福感」を「どうしても書いておかなければいけない」こととして次のように記している。

「木々の木漏れ日の輝きににじんでくる憂愁の色と、そのすべてにふさわしいと感じることの幸福が陶酔を誘った。私は正に存在していた!」

ただ歩いているだけなのに、この「!」付きの快哉は何事か? このあと三島の筆は、この「強烈な幸福感をもたらす存在感は、いうまでもなく次の一瞬には瓦解した」として、その幸福な存在感を引き止める方法の考察に移行し、自分を林檎にたとえ、林檎の芯(自意識)が、「自分がまっとうな林檎であることを何とかわが目で確かめ」るためには、「外からナイフが深く入れられて、林檎が割かれ、芯が光りの中に、すなわち半分に切られてころがった林檎の赤い表皮と同等に享ける光りの中に、さらされること」しかないと断じ、次のような自己確信に達するのである。

「(私は)いわれない焦燥にかられて、いずれ存在を破壊せずにはおかぬほどに、存在の確証に飢えていたのである」(()書きは引用者による補足)

これが、彼の自己申告した切腹の理由であることは明白であろう。明らかにポイントは「存在感」に置かれている。それにしても不可解ではある。なぜならこれは「死ぬ瞬間(自分が切り裂かれた瞬間)を自分の目で見るときしか、自分の存在を確認することはできない」という論理になってるからだ。

しかし、確かにわれわれは死ぬ存在だからこそ生きているといえる。だからもし彼が存在感を持てない人間であったのなら、死ぬ瞬間、その証拠を自分で「見る」ときしか自分の存在を確認することはできないという相対性理論を信じ込んだのはありうることであり、この理論は「それが無になる瞬間、それは有であったことが確認できる」と翻訳してもよかろう。そして、私の気づいたことと言うのは、このロジックが、三島のある重要作品における、有名な不可思議な描写と関連づけられるということなのである。すなわち「それが無になる瞬間を見るとき、それが有であったことが証明される」のであれば、もう片方の一点、「それが無から有になる瞬間」を自分の目で「見た」場合も、同じく有の証拠となるということだ。この主張をわれわれはどこかで読まなかったか?

「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた」

言うまでもなく、三島の実質的デビュー作である『仮面の告白』の冒頭である。この『仮面の告白』の冒頭の主張は、これまで幾多の解釈がなされてきたが、小説の本筋――同性愛と異性愛のことばかりが書かれた本筋――とどう関わりがあるかよく分からない記述である。しかし自己が存在していることを「見て」確認すること、それが三島の悲願であったなら、彼唯一の私小説であるこの長篇が、この主張ではじまるのは理解に苦しむことでもなくなる。のみならず『仮面の告白』の結末は、書き手の「私」が目の前にいる元恋人の女性の存在も忘れ、近くに居た見も知らぬ、腕に牡丹の刺青をいれた逞しい若者が刃物で刺され血まみれで死ぬという、三島自身の最期とほぼ同じ妄想に憑かれるというものであるから、彼のあの酸鼻な死に方も、ここで予言されていたという他はない。(ちなみに三島も死の直前、唐獅子牡丹の刺青をしようと考えていたらしい。その代わりか、市ヶ谷に向かう車の中で「唐獅子牡丹」を歌っている)

以上の符号に気づいたとき、私は、三島由紀夫があの異様な死に至った過程が、彼の人生と創作史とをからめながら解きほぐせる気がしたのである。

三島由紀夫の根本にあった問題が、「自身の存在感の欠如」にあったことは、三島自身とつきあいがあった三島の伝記の作者ジョン・ネイスン氏、詩人の高橋睦郎氏、そしてつきあいこそはなかったが心理学者の岸田秀氏などがそれぞれ著書で述べていることではあるのだが、多くの人は「自身の存在感の欠如」と言われてもピンと来ないのではなかろうかと思う。それは論を進めていくうちに垣間見ることができるようになるかとも思うので、ともあれ、私なりの考察と答えを次に披露させていただこう。

***

仮面の告白』『禁色』論(24~28歳)~生の歓喜たる流血の死

まずは『仮面の告白』からとなるであろう。それは上述したとおり、三島由紀夫の実質的デビュー作であると同時に、彼の幼少期からの問題が詳述されたものでもあり、三島由紀夫の流血と死への希求は、すでにそこにイヤというほど書かれている。彼は幼少のころから、王子が殺される童話に魅され、戦死している自分を空想することに「えもいわれぬ喜び」を見出し、殺される若者「聖セバスチャン」の絵を見て、初射精を経験し、ひいてはたくましい同級生を刃物で血まみれに切りきざむ妄想で自慰を行うようになった。この激烈さ、凶暴さへの強い憧憬は、まさに生命感の不足から来るものではないのか。彼は『仮面の告白』執筆の直前にこんな発言もしている。

「僕は人を殺したくて仕様がない。赤い血が見たいんだ。作家は、女にもてないから恋愛小説を書くようなもんだが、僕は死刑にならないですむように小説を書きだした。人殺しをしたいんだ、僕は。これは逆説でなくって、ほんとうだぜ」(1948年「序曲」同人との座談会にて)

「ほんとう」であろう。実際、「血だ、血だ」とスプラッター映画などに興奮する人、残虐嗜好の人は、冷たい顔をし、生き生きした感情に欠けているイメージもあるし、三島もまったくの無表情、あるいはときおり、すさまじく凶悪な顔になることが多くの人によって証言されている。本来自分のものであったはずの、たくましい肉体を持っている若い男に対する嫉妬。それを切り刻んで殺すのは、死んでいるような自分の位置にまで生き生きした相手を落としてしまう喜びであり(つまりサディズム)、そのとき噴き出す血を浴びることは、生命感のない自分に生命力を取り戻す儀式、いわば存在感のない、死んでいる自分を生き返らせる唯一最高の方法なのである。

彼が存在感を持てなくなった原因が、幼少期の環境にあることは誰でも直感できることかと思う。彼は生まれて49日目に、祖母の手によって両親から奪い取られた。祖母は孫息子を「檻の中の動物のように枕許から離さずに」いたという。祖母は脳神経痛を患っていたので、大きな音や振動をきらい、三島はひねもすおとなしくしていることを強いられた。遊び相手は祖母がえらんだ近所のおとなしい女の子だけ。また少女時代に宮家である京都有栖川家へ行儀見習いに出されていたこの祖母は、行儀作法をきびしく三島にしつけ、孫息子の単純な自発性さえ強く抑えつけた。

祖母が孫息子を奪いとった理由は『仮面の告白』に書かれたように、大名の孫娘でありながら、平民に嫁がされたことや(祖母は祖父を卑しい出として蔑んでいたとある)病気を夫からうつされた恨みなどの蓄積からくる不満が、一人息子(三島の父)をうばった嫁に対する嫉妬となって爆発したためかもしれないが、それにしても常軌を逸している。しかしさらに解せないのは、三島の両親が同居していながら、意に反してにしろ、祖母に従っていることである。両親の無為が彼の存在感の希薄さに拍車をかけたのは疑いもない。

このような歪んだ環境も、それが彼にとっての全世界であった幼児期まではまだよかった。三島自身、祖母のそばでおとなしくしていることを「そうしているのが好きだった」と述べ、普通に両親に育てられている妹と弟のわんぱくぶりを「さして羨ましく思うでもなかった」と書いている。

しかしやがて彼は自分に、存在の歓喜が欠けていることを気づかされ、大きな衝撃をうける。それは『仮面の告白』の第一章の末尾、「それを見たとき、幼少時代が私から立ち去ってゆこうとする訣別の手を私は感じた」と記された、夏祭りの神輿が彼の家の前庭に雪崩れ込んでくるという事件によってであった。こんな激しい、暴力的な、集団の陶酔と、生命の歓喜の世界を彼は初めて見たのだった。

「植込が小気味よく踏み躙られた。本当のお祭だった。私に飽かれつくしていた前庭が、別世界に変ったのであった。神輿は隈なくそこを練り廻され、灌木はめりめりと裂けて踏まれた。何が起こっているのかさえ、私には弁えがたかった。(中略)が、唯一つ鮮やかなものが、私をおどろかせ、切なくさせ、私の心を故知らぬ苦しみをもって充たした。それは神輿の担ぎ手たちの、世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情だった。……」

ところで三島自身、「何の力が、かれらをこのような衝動に駆ったのか」と疑問を呈しているが、なぜ神輿が人家の前庭に入ってきたのだろうか? 野坂昭如の『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』いによれば、この三島の生家は「道に面して、鍛鉄の門、左右に石塀、足元は石畳で植え込みを囲み、玄関まで敷きつめられている」とあるので、進入口は「鍛鉄の門」しかない。となると興奮と陶酔のためにあやまって突入したとは考えられない。担ぎ手全員の合意が、最初からあったのではないか? 『仮面の告白』によれば、「本来ここは祭の道順ではなかった」ところを、三島の祖母に「手なずけ」られていた仕事師の頭によって「迂路を敢てしながら」手配されたものとある。上述のとおり、三島の祖母は支配欲がつよく、他人を「手なずけ」はするが対等につきあうことができるタイプではなかった。そういう噂はあるていど、広まっていただろう。そこで担ぎ手たちが「そんなにまでして見たいのなら」といじわるなことを考えたのではなかったろうか? もしそうなら、それは少年三島を支配・抑圧している祖母への攻撃でもあったことになる。だからこそ、幼い三島にもこの事件は衝撃となったのではあるまいか? しかも自分たちを攻撃してくる前庭の男たちの顔を、三島が2階の露台(いわばバルコニー)から見たというのはなんたる因縁か? そこから疎外されているがゆえに抱く強烈な「祭り」参加への憧憬。これが20年後の神輿担ぎをステップとして、最後の市ヶ谷での切腹へとつながったのは間違いのないことであろう。ともあれ、この神輿雪崩込み事件もまた、『仮面の告白』という小説の主筋とは一見関係ないように見える。しかしそれにしては思い入れの比重が高すぎよう。ならばこれもまた生まれたときの光景と同じく、この小説の核心であったのにちがいないのだ。

ならば『仮面の告白』のあらすじをあらためて確認する必要があるだろう。全体を俯瞰すれば、前半は、書き手である「私」の同性愛の記憶を中心とした幼少期の回想録で、後半が、青年となった「私」と園子と呼ばれる少女との恋、およびその破綻という構成になっている。基本、同性愛と異性愛のことしか書かれていないため、この小説のあらすじは、同性愛者であることに疎外感をいだいている青年が女性とつきあってみたものの失敗し、やはり男が好きだと分かる物語と答えてしまいそうになるが、そんな単純な話ではあきらかにない。そもそも「私」は女性への愛の逡巡の理由に同性愛を持ち出してないのである。「私」は恋の迷いについて、ひたすら答えの出ない自問を抽象的表現や比喩をまじえて語ることしかしていない。

園子との破局が事実に基づいていることは、すでに詳しく知られている。三島とその女性は婚約寸前までいった。しかし三島が逡巡しているうちに戦争が終わると、女性は別の男性と結婚してしまった。『仮面の告白』では「私」が婚約を断っているが、彼の逡巡が恋人を失わせたことは確実であり、その気質が彼自身を苦しめつづけた元凶であることは疑う必要もなかろう。園子への想いはあきらかに本物であり、仮面の告白』はまぎれもなく失恋小説なのである

「私」の逡巡の理由は何だったか? それは最後に判明する。三島は短編、戯曲では結末を、長編ではクライマックスを決めてから小説を書くと何度も発言しており、作品を見てもそれはあきらかだが、『仮面の告白』においては、主人公が、与太者の青年の血まみれで死ぬ妄想に自慰的に浸っているとき、すでに人妻となった園子の問いかけに「ふしぎそうに」振り返った、その瞬間の描写こそがクライマックスなのであった。

「この瞬間、私のなかで何かが残酷な力で二つに引き裂かれた。雷が落ちて生木が引裂かれるように。私が今まで精魂こめて積み重ねてきた建築物がいたましく崩れ落ちる音を聴いた。私という存在がなにか一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見たような気がした」(太字変更は引用者)

私はこの部分を読むと、岡本太郎の次の言葉を思い出してしまう。

「だれでも、青春の日、人生にはじめてまともにぶつかる瞬間がある。そのとき、ふと浮かび上がってくる異様な映像に戦慄する。それが自分自身の姿であることに驚くのだ。それはいわゆる性格とか、人格とかいうような固定したものではない。いわば自分自身の運命といったらいいだろうか。自分自身との対面。考えようによっては、きわめて不幸な、意識の瞬間だが。」(『原色の呪文』より、序――呪術誕生、太字変更は引用者)

つまり『仮面の告白』は、何が、存在感の持てない自分にとっての最大の喜びかを確認した書であり、それは異性ではなく、すでに自らが覚えているはずもない誕生の瞬間か、あるいはその逆のポイントであるところの死、それもたくましい若者が血まみれになって切り殺されるという過激な死を見ることであるという運命を自覚する、それを主筋としていると言わざるを得ない。

こう考えてくると、『仮面の告白』の冒頭の、彼が生まれたときに見たと強調している産湯の盥の縁に反射していた光、および、全編最後の一行、件の若者がいた一団を「私」が今一度ふりかえったとき、誰もいなくなったその「卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた」と書かれた二つの光の意味も分かってこよう。それは、後年、自衛隊の営庭を歩いていた時の木漏れ日の輝きと同じく、存在感そのものであるところのもの、つまり生命の輝きの比喩なのだ!

ならば『仮面の告白』の主題は、同性愛と異性愛の相克というよりは、殺人願望と日常生活の相克であるというほうが正確になるだろう。そして勝利を得たのは殺人のほうなのであった。しかしそれは実行したら終わりだ。妄想に、オナニズムにとどめなくてはならない。しかし「健全に」女性とつきあう日常生活も無理なことが判明したのだから、彼には疑似の「生」を生きる道しか残されてない。つまり小説家になる。手始めにその男が書かれるだろう。書くことは破滅へ赴く衝動を食い止めるもの、つまり彼が生きるための命綱であった。それもまた「死んでいる生活」だったのかもしれないが、そこが彼の安楽の場所であったことは、彼の多くの文学賛美の言葉からして間違いがない。

ともあれ、書くことが彼の「生」となった。彼が元旦だろうがヴァカンスの時だろうが、休むことなく書き続けたのはそのためである。

そうして書かれだした「生」も最後は「死」で終わっている。続く長編『愛の渇き』、『青の時代』はそれぞれ、殺人と自殺(の暗示)で終わっている。しかしそれは本当の死ではない。彼は誰も殺さずにいられるし、こうして自分も生き続けることができるのだ。

ただその次の大長編『禁色』の、女に裏切られつづけてきた老作家檜俊輔が、女を愛さない男色家の美青年南悠一をあやつって、自分をふった女たちに復讐するという荒唐無稽な筋立ては、ある疑問を喚起せずにはおかないものである。つまり、『仮面の告白』で描かれた同性愛とは、女にふられたことの言い訳として過度に持ち上げられたものではないかということである。『仮面の告白』の直前に書かれた三島最初の長編である『盗賊』も、異性にふられたひとりの男とひとりの女が互いにふった相手へのあてつけか見栄かとしか思えない心中を行うという筋書きのものであった。

この時期の好短編とされる『遠乗会』も、失恋への慰謝みたいなものが見える。葛木夫人は、かつて申し分ないがゆえに結婚を断った相手がいた。そのことにプライドを置いていたのに、久々に会ったその相手は、彼女のことをすっかり忘れていた。ゆえに彼女は傷ついてしまう。その相手の由利将軍なる人物とは、まさに軍人由紀夫ではなかったか?

ともあれ、彼の憑かれていた行為で重要なものは同性愛より「殺人」である。どちらも三島においては性的な意味でという点で同じなのだが。『禁色』のラストにおいて三島が、同性愛という武器を手放していることからもそれは分かる。つまり、『禁色』の第1部では、老作家の女への復讐がなされ、夫と悠一の同性愛の現場を目撃した鏑木夫人が自殺して終わるという、異性愛に対する同性愛の優越をもって終了するのだが、第2部は禁色ならぬ「禁じ手」をつかって展開が逆転してしまうからだ。すなわち第2部のはじまる前に三島は、異例の改訂広告を掲載雑誌に載せて、鏑木夫人を生き返らせ、同性愛者であることを家族に密告され窮地におちいった悠一を彼女に救わせるのである。このため悠一は(また作者も)鏑木夫人に対母親的な愛情を抱くようになっていく。悠一に捨てられることを悟った老作家は敗北を認め、せめて金銭という絆だけでも悠一とのあいだに残そうと、全財産を彼に送って自殺する。

なぜ一度発表した文章は直さない(『文章読本』)と自ら言っていた三島がこのときだけ直したのか。それは異性愛(日常生活)へおもむくことが、そのときの三島の課題だったからだ。つまりこの結末には、三島自身の同性愛との決別、と同時に、母親的な女性への期待がこめられている。実際、密告事件の渦中において、悠一は同性の愛人たちと縁を切っていくし、この後、三島作品から同性愛は消えたのである。悠一が老作家の遺産を人生謳歌に使おうと決意するラストは、三島自身が、文学でもうけた金をそのように使おうとする決意でもあったのだろう。

実際、文壇的、経済的成功もあいまって27歳の三島は「健康的な」ありかたで現実の人生に再チャレンジするようになった。「青春をやり直す決心」「自己改造」。有名な豪傑笑いが始まったのもこのときからだ。しかし、成功した地点から行われる青春の取り戻し行為など、どれだけ本物と言えるだろう? こののちも三島の「行為」には拭いがたいニセモノ臭がまとわりつき続けるのである。

*** 

③『金閣寺』『鏡子の家』論(29~34歳)~生を阻むものの破壊

太陽の下に飛び出した三島は、文学上でも明晰な方向、つまり古典主義へと傾倒していき、「何から何まで自分の反対物」、つまり壁となる事件こそあるが、葛藤は何もない明るい『潮騒』を書き下ろす。『潮騒』は通俗的には受け、彼は流行作家の地位を築き上げる。

次の長篇『沈める滝』は作家的成功による過去の失恋への鎮魂曲であろう。何に対しても感動しない主人公の土木技師城所昇が作者の分身であり、ダム建設が小説執筆の暗喩であることは論をまたない。ダム(小説)作りに従事しているかぎり彼は、自身の無感動も気にならないのだ。その恋人、不感症の人妻顕子は、昇との交渉で喜びを知るが、昇が感動しないゆえに自分を愛したのだと知ったとき自殺する。彼と関係を持とうとする者は、彼の無感動さのゆえ彼の元を去るしかないのである。ダムの下に沈んでしまう小さな滝は、文学に封じこまれて昇華され消えていく過去の恋人の面影だ。ラスト、ダム見物に来た一人の中年女性に「あなたもそろそろお嫁さんをお迎えにならなくちゃなりませんね」と唐突な台詞を言わせて締めくくっているのは、三島自身が結婚、つまり日常へと赴くことを本気で考え始めたからであろう。彼がボディービルで肉体改造に取り組み始めたのは、この小説を書きあげた直後だった。

そのボディービルの開始と同時に書かれたのが、『金閣寺』である。それは「生を阻むもの」をテーマとしている。「生を阻むもの」は三島文学の大きなテーマで、十三歳のときの作品『酸模』からしてそうであった。少年を外で遊べなくした原因である脱獄囚、「おじさんにも坊やくらいの子供がいた。坊やが一番喜ぶことをしてやる」と言って刑務所に戻る脱獄囚は、三島にとっての「生を阻むもの」の原型、つまり十三歳の三島をついに手放した祖母でもあったようにも思えるし(三島の創作活動は祖母と別れた時から始まっている)、逆に幼い三島が触れることのできなかった男の世界を作中の母(つまり祖母)が阻んでいるようにも見える。金閣もまた、主人公の溝口が女を抱こうとすると、突如あらわれ妨害するが、それは抑圧を強いてくる祖母のようでもある一方、より性的な興奮をもたらす逞しい若者の肉体でもあるようにも思える。人妻となった園子と未練がましい逢瀬を重ねる『仮面の告白』の「私」――園子への起死回生の性関係を持とうと企んでいるようにも見える「私」(ここは『美徳のよろめき』を思い出す)も、逞しい若者の肉体によって園子を手にすることを阻まれている。

しかし、金閣と逞しい若者を、簡単にイコールで結ぶことはできない。溝口の金閣に向かっての「二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」との叫びは、「筋肉をわがものにしてやるぞ」とシノニムにも見えるが(考えればキンカクとキンニクは音が似ている)、金閣の焼却行為が、女へ接近する障害の除去であるのに対し、逞しい若者の殺傷は、女へ接近する障害の除去というより、それ自体、生の歓喜であり、方向性が異なっているからだ。

金閣の象徴しているものは何だったのだろうか。もちろんそれはある具体物の暗喩という寓話レベルのものではないし、他の三島作品と照合して一元的な方程式に還元することにもまた無理があるというものだろう。ただ作中、金閣が「美」と呼ばれ続けていることから考えれば、金閣を芸術作品=文学と捉えるのはそれなりに当を得ていると思われる。彼は小説家となったが、書けば書くほど、生は文学という美しい作り物の中にのみ閉じられていき、本物の現実は遠のいていく。つまり、文学もまた破壊しなければならない「生を阻むもの」なのだ。つまり「書くこと」より「行為」が重要になってきた。

溝口は、日本海の荒涼とした海を見ながら突然、「金閣を焼かなければならぬ」と決意する。この場面は風景描写が中心で、今まで彼がつむいできた内面世界の描写や、観念的饒舌が沈黙してしまっている。しかし荒涼たる海をそのまま三島の内的風景と考えれば、ここで主人公が金閣を焼くことを決意したことは、それほどおかしいことではないことに気づこう。このモノクロームの世界に、血、火といった生命の色彩たる赤のほとばしる「行為」がなされねばならなかったのである! これは、のち『午後の曳航』で、海を捨てた水夫を殺すさいに少年たちの首領が言っていることでもある。

「血が必要なんだ! 人間の血が! そうしなくちゃ、この空っぽの世界は蒼ざめて枯れ果ててしまうんだ。」

ここでようやく金閣と逞しい若者のイコール性も確認されるだろう。血の行為。火の行為。死の行為。滅ぼす行為。文学ではなく行為! 行為! 行為! 溝口が幼少期、嫉妬とあこがれの対象とした年上の少女の名前は「有為子」であった。行為こそ至上! 『午後の曳航』も実際には最後に、少年たちが水夫を殺す場面がリアルに書かれていたという。

事実、三島はここにおいて、現実の「行為」に生を求め始める。『金閣寺』末尾のとおり、そうすることによって「生きようと思った」。そのとっかかりがボディービルであった。文学は三島に完全な勝利をはもたらさなかったという他はない。

ボディービルによって立派な男の肉体を得た三島は、『金閣寺』脱稿のあと、スポーツの世界に飛び込み、結婚し、家を建て、子供ももうける。この現実的なる日常! 結婚生活に入ったときに書かれた大作『鏡子の家』は、彼のマイホームへ入る意志が強く反映されている。芸術家、俳優、ボクサー、会社員と四人の自己の分身をえがき、自分が青春を生きたことを今一度再確認すると同時に、作中それぞれを破綻せしめ、そうして青春と訣別しようとしたのではなかったか。結婚時に青春の終わりを意識することは別段珍しくもないことである。

しかし、『鏡子の家』はあまり評価されず、失敗作の声まで聞かれるものとなった。評価が低くなった理由として、四人の青年のあいだの葛藤の欠如がよくあげられるが、失敗の根本原因は、彼が現実の「健全な生活」に入ったことにあった。その反作用として、小説は小説としての力を必然的に失ってしまったのだ。現実に生きられないから小説を書くという彼の創作原理では不可避的にそうなる。『鏡子の家』の執筆と並行して書かれた彼の日記エッセイ『裸体と衣装』における彼の日々の充実を見よ!

ともあれ、四人の青年たちの憧れであった鏡子を、平凡な結婚生活、マイホーム生活に戻すという結末をつけたことが、三島自身のマイホームに入る決意の反映であったのは確実である。最終章など、三島作品らしからぬ明るさであり、アメリカのホームドラマのようでさえある。何より最後の鏡子の饒舌な言葉は、明らかなマイホーム宣言である。が、三島は本当にそう宣言したのだろうか? この部分の筆は驚くほど上滑りしており、鏡子の決意を楽しく描写しながらそれを蔑視しているようにも見える。作中一度も姿を見せなかった鏡子の良人が、犬を連れて鏡子の家に帰ってくる最後の一行を読まされると、その疑念はさらに大きくなる。

「七疋のシェパァドとグレートデンが、一どきに鎖を解かれて、ドアから一せいに駆け入って来た。あたりは犬の咆哮にとどろき、ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた。」

三島は犬でなく、大の猫好きであった。猫が忘恩の徒であるからだと語っている。ならばこの犬たちが三島の厭うもの、マイホームに鎖をつけて飼われているもののシンボルなのは明らかだ。(余談だが、芥川龍之介太宰治も犬嫌いであった)では、鏡子がマイホームに回帰するラストも、作者図らずとものアイロニーがこめられてしまったと考えるほうが自然ではないか。彼は、家庭を持ったものの、いつかマイホームパパであることを拒否するだろうことを、告白してしまったのだ。やはり血と死にしか生の実感を見出す期待がもてなかったのか?

そうなのだろう。彼は『鏡子の家』を書きあげたのち、ふたたび、たくましい若者を切りきざむ妄想を打ち出しはじめるのである。しかも今度はシチュエーションが変わっていた。自分の肉体を切りきざもうとするのだ。『鏡子の家』の翌年には、刺殺される若いヤクザを映画で主演し、さらに次の年には、切腹小説とよぶべき『憂国』を上梓する。 

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④『憂国』論(35~39歳)~日常と死との融合

彼の問題は、自らがたくましい肉体を得れれば解決するような単純なものではなかった。たくましい肉体は切られ、血を出し、そして死ななければならないのだ。しかし、今や自分がたくましい若者になったから、他人でなく自分を殺すという路線変更が行われたのではなかろう。「人を殺したい」と「死にたい」は、まったくベクトルが異なるからである。

こう考えるのがいいのだろうか。彼は存在感が欠如しているゆえ死にたかった。また、「死」にこそ存在感が逆説的に現れるのだと思えたので死に憧れた。さらに一方で、存在感を獲得するがため人を殺したかった。これら死をめぐる複数の欲望が止揚され、新たに三島の前にあらわれた新嗜好が切腹であると。その派手な(これは三島が好きだった言葉だ)死に方のなかでは、自分は男の中の男であり、悲劇的な英雄であり、とにかく何者かでありえてる。つまり生きているのだ。

加えて、切腹という方法に三島が向かったのには、もう一つ別の理由があるように思われる。それはきわめてフロイト的だが、自己懲罰の欲求だ。切腹などという痛い死に方を選ぶのはわれわれには理解しにくいところであるが、自分がその痛さに値するような罪を犯したのなら考えられないことでもない。三島も何かそのような大きな罪を犯そうとしていたのではないか。それは、祖母が嫌った「悪いこと」をし始めたことではなかったかと思われるのである。つまりは、ボクシング、剣道、兵隊ごっこ、ヤクザの演じ。残虐夢想による自慰も含めていいかもしれない。つまりみな、男児の暴れである。しかしそれは男児にとって生きることそのものではないか。ならば三島は「生きること」自体を祖母によって禁止されていたことになる。しかし三島はそれを得たかった。祖母の教え(?)に背いても。ならば、100%の生の実感獲得は、究極的な罰とで等価交換になるだろう。その究極の罰にして、生も同時に得れるという完全なる解こそ切腹であった。そこには、あたりかまわず呪詛を喚き散らすほどだったという祖母の病の痛みの発作を、こんどは祖母を裏切った自分が引き受けるという意味もあったのかもしれない。

しかし30代の彼は「何としても日常を生きなければならぬ」とも思っていた。そこで命綱の締めなおし。短編『憂国』はそんな日常と死との葛藤の理想的解を描いた作品である。「或る銀座のバアのマダムは、『憂国』を全く春本として読み」と言い訳めいたことをいっているようにマニアックな性嗜好が前面に出ている作品であることは否めないが、「エロスと大義の融合」として晩年まで「自分のすべてがある」といったのは実感だったろう。蹶起に誘われなかった主人公の苦悩には、戦争で死なず幸福な結婚生活を営んでいる自分、そして武人として遅れてきたことへの焦燥が反映されている。これらのわだかまりをまとめて解決してくれるものとして切腹は位置づけられているのだ。

これだけ後押し条件がついてくれば、三島がこののち、殺人より、よほど実現の可能性がある切腹のほうに憑かれていったのは(憑かれていたこと自体は誰も否定できないだろう)当然というべきだろう。最初はまだオナニズムのレベルであったが(考えたら自慰と切腹は姿勢が似ている)だんだんと現実化へ動き始め、それに反比例して家庭生活が切り捨てられていく。『憂国』のように結婚生活までを切腹に付随させるのは無理な話だからだ。最後に空飛ぶ円盤に救われるという童話じみた結末をもった『美しい星』が彼の家庭肯定を描いた最後の作品だった。(この終わり方は、のちの『豊饒の海』のラスト案として没になったといわれる、少年の天空への旅立ちにも似ている)

実際このころには、家庭の否定、とりわけ父親の否定というテーマが目立つ。『午後の曳航』では、栄光への希求を忘れてマイホームパパになった船乗り竜二を、父親こそもっとも悪い存在と考える13歳の少年たちに処刑させ、『絹と明察』では、父親ぶって自分の考えを工員に押しつけ自己満足している会社社長(祖父の定太郎がモデルと思われる)を徹底的に揶揄している。

三島は40歳をむかえる。英雄的死を演じるに、こんどは時間の制限が加わる。男40歳、数えで厄年、それは肉体だけでなく、性欲までも衰えるのが分かってくる年齢だからだ。彼が極度に老いを恐れたのはあまりに有名だが、死に対し、単に性的興奮にとどまらず、存在感の証まで見ていたのだから、性欲を失うと言う意味でも、老いは恐怖だったのではないか。『仮面の告白』が最後、性的興奮に支配される物語であったことを、今一度思い出しておこう。

かくて彼は切腹死の実行を性急に模索しだす。しかし現代社会に切腹の必然などない。飛躍するしか道はなかった。「切腹死する物語」を自分でつくりあげるのだ! 自衛隊体験入隊も、カッコイイ制服の私兵「楯の会」も、その布石であった。おそらくは、大義のために死にたいと思っていた若者との出会いも。しかしもっとも必要なのは、切腹を是とさせる背景であった。かくて天皇が駆り出されるに至る。三島も生前最後の対談で言っているが、まさか殿様を駆り出すわけにはいくまい。

実際、「天皇」は晩年の三島において唐突にクローズアップされたものだ。『憂国』執筆の時点では、主人公夫婦が御真影に拝礼する描写こそあるものの、その他言動を点検するかぎり、三島の関心は特に「天皇」に向けられていない。

が、「切腹をつかさどる者」そのものは、最初から存在していたことに気づこう。つまり空想世界で若者たちの腹を切りきざんでいた『仮面の告白』の「私」である。これは『憂国』執筆の前に彼が偽名で同人誌に発表した『愛の処刑』の美少年や、『午後の曳航』で船乗り竜二を処刑した、赤い唇をもつ少年たちの首領、公園の孔雀を惨殺した『孔雀』の美少年などにもその面影がある。そして先に述べたように、切腹が祖母への贖罪行為であったのなら、切腹をつかさどる絶対者は祖母でもあったはずである。彼の「天皇陛下万歳!」は「若き時の黄金時代の私万歳!」でもあり、「おばあ様万歳!」ということでもあったのではないか。そして天皇の軍隊の復活はまさに、彼の青春時代の現実の復活でもあった。

こうして切腹死までの線路が敷設されていった。あとづけの理由のために死ぬなんてことがありうるのか、というかたは次の三島の言葉を読んでいただきたい。

「ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその意味を失う。ここに絶望の心理学がはたらいて、絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっての最善の方法で保有しようと希むのである。ニヒリストは徹底した偽善者になる。大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由を持ち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起こすのはこの地点なのだ。」(『新ファシズム論』)

後付けの架空の理由を昔からの事実であるように見せかけるのは、三島40歳のときの短編『三熊野詣』などにも表れている。

三島にとって現実の生は、死、破滅にしか見出せないことはすでに確認した。だから小説世界と現実世界の互換は、命と引き替えでしか成立しない。彼が現実に赴く日は、不可避的に彼が破滅する日であり、同時に小説を書くことが終わる日となる。だから彼が最後に書く小説は、書くことの終わりを決定づける小説でなくてはならなかった。

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 豊饒の海』論(41~45歳)~書き続けることの暗喩としての輪廻転生

三島由紀夫最後の小説。それは執筆に五年が予定された大作で、全四巻、二十歳での夭折を転生して繰り返す四人の人物を描くものとして構想された。

しかしなぜ輪廻転生なのであろうか?

三島が作中内の客観的事実現象として輪廻転生を扱うつもりがなかったことは、「実は輪廻転生などなかった」というこの作品の結末自体が証している。この結末は気まぐれにもたらされたものではない。主人公の輪廻転生は巻を追うごとに疑われだし、その貴種性、及び背負うべき劇的なドラマも、意図的に衰弱させられていっているからである。

第一巻『春の雪』は、大正初期の華族の悲恋譚として今もよく単独で読まれている。二巻『奔馬』も、主人公である右翼の少年のひたすらテロ行為を犯して自刃したがる猪突猛進性にはやや共感しがたいところがあるものの、主人公が大きな目的を持っているだけに読ませる力がある。それが第三巻『暁の寺』となると、貴種のドラマは大いに弱まってしまう。第三の転生者、タイ王国の王女は主人公とはとても言えない。内面描写はゼロで、彼女自身のドラマは最後に同性愛者であることが判明する以外は、ないに等しい。主人公は、全巻通じてのオブザーバーである本多繁邦に移行している。もっとも、この広い世界の中で転生者が本多の前に必ず現れるという偏向な展開からして本多のほうに主人公性が移行していくのは必然であった。ところが本多は主人公になると卑小な人物と変わりはてる。『春の雪』や『奔馬』ではそれなりに行動力も見せていたのに、三巻に至ると「行為なき認識者」と決めつけられ、果ては「見る」ことでしか自己の存在を見出せない気質の戯画として「覗き魔」の趣味まで付加される。

最終巻『天人五衰』では面白さが戻ってくるが、それは『豊饒の海』全体としてあるものである。つまり最後の転生者は本物であるか否か、この大作の結末はどうなるのかとの解に突き進むスリルである。岬の信号所員である身寄りのない少年、安永透が転生者であることを知った本多は、透を養子とし、夭折から守ろうとするが(この本多の行動は意味がよく分からないが)、透はこの果報を受けるや、義父を「年寄りなんて穢い。臭いからあっちへ行け」「あれ、まだ生きてたの」といじめたおすようになる。もはや貴種の気高いドラマは見る影もない。とは言え、転生者の証であるホクロがあり、本多の前に現れたことからしても、透が前三人の転生者であることは間違いない。つまり透は「贋物」と呼ばれこそするものの、タイトルどおり天人の超越性がここにきて衰えきったと解釈するのが妥当である。実際、透には腋に汗がたまりやすいという「五衰」の兆候が現れている。

なぜ三島は天人を最後に卑しめたのか? 最後に透をあざける老女、久松慶子の言葉は天人の存在の否定ですらある。

「この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生まれつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生まれて来はしない、ということを人間の頭に叩きこんでくれる筈ですわ。」

三島文学の中で、もっとも感動的と言えるこの文章は、前三人の主人公の否定のみならず、小説の中に天人を見ようとする三島自身の否定にもなっている。

しかし決定的な否定はラストだ。八十歳になった本多は、第一巻のヒロイン聡子と六十年ぶりの再会を果たすが、聡子はかつての恋人であり、本多の親友であった松枝清顕を、知らない、そんな人は最初からいなかったのではないかと言い本多を呆然とさせる。本多は、清顕がいなかったのなら、その生まれ変わりであったと思った者たちも、自分すらもこの世にいないのではないかと慄然とする。そのとおり、登場人物は皆いなくなったのだ!

あまりに有名な『天人五衰』の末尾は、すべてが光の中に溶解し、最後の一行では本多すら消えてしまったという感覚を覚えるが、理論的に言ってもすべて消えなくてはいけない。なぜならこの結末は破綻しているからである。清顕がいなかったのなら聡子も誰もいてはいけないはずなのだ。私も学生時代初めて読んだとき、この結末は、作者が書くことを投げ出した印象を受けた。

それでも、ニセモノ安永透だけは小説の中に生き残ったといえよう。透は二十歳で死ぬ選ばれた転生者であることを証明しようとして自殺を図るが(この行動もよくわからない)、失明はしたものの命はとりとめる。そして自らを美女と思っている狂った醜女と結婚して余生を送ることとなる。死ななかったという意味では透は贋物であるとも言えよう。本物なら夭折に成功するはずだからだ。またしても最後に現実と小説の入れ替え!

が、最初から、三島の輪廻転生に対する感情はアンビバレントなものがあった。それは『奔馬』における次の言葉からも明らかだ。

「ひとたび人間の再生の可能がほのめかされると、この世のもっとも切実な悲しみも、たちまちそのまことらしさとみづみづしさを喪って、枯葉のように落ち散るのが感じられた。それは何かしら、悲しみによる人間の気品が本質的に損なわれるのを見る忌わしさにつながっていた。それは、考えようによっては、死よりも怖ろしいものであった。」

これは正論だと思うが、ならばどうして三島は、颯爽たる貴種の輪廻転生、いわば「不死」をモチーフに長い小説を書こうとしたのか? ここで、三島が「不死」を僭称するものとして『太陽と鉄』で定義していたものを思い出そう。それは「精神」である。三島が「精神」というとき、それは「肉体」と対峙する概念として登場してくる。つまり「精神」とは、「現実」に対しての「文学」のことをも言い表している。文学の中に生き続けるとは不死であることだと三島は言いたいのだ。事実、小説家は、ひとつの小説の中に生き、それが完結しても、次の新作でまた生きることができる。つまり小説を何作も書き続けること自体が、輪廻転生(不死)である。しかし小説家も現実に死ななければならない。文学の中に不死に生きているのに、肉体は消滅してしまわなければならないという理不尽! 燃えゆく金閣(文学なるもの)の中に飛び込んで一緒に死ぬことはできないのだ。

これが、三島が輪廻転生を「死よりも怖ろしい」と書いた理由であり、書き続けて天寿をまっとうできない理由であった。つまり豊饒の海』における「輪廻転生」は、小説家が小説作品を何作も書き続けることの暗喩なのだ。言い換えると、『豊饒の海』は、小説家が小説を書くことの輪廻転生的性質をモチーフにした小説である。だから『豊饒の海』の最後に輪廻転生が否定されることは、作者にとって書くことの終わりを意味していた。小説の中で死ぬことができないなら作家は、現実に本当の死を受け入れる心理体制を整えなくてはならない。そして「不死」を僭称する文学のほうは強引にでも終わらせなくてはいけない。三島の形式美への愛、ここに極まれりであろう。実際、三島は遺言で、最後に自分は文学を捨てたのだと明言している。最後もまた「生を阻むもの」が破壊されるという結末が繰り返されたのである。『豊饒の海』における「生を阻むもの」、それは、彼の愛した「文学」、つまり「書くこと」であった。

こう考えれば『暁の寺』の悪名高い唯識論の長広舌も、それほど難解なものでなくなるだろう。本多は、輪廻転生する主体とは究極の識、阿頼耶識であるとの認識に達するが、この作品においての阿頼耶識、すなわち転生する主体とは、作者の三島由紀夫自身ということで本稿の答と符号するからだ。これは考えてみればすぐ足元にあった答えである。なぜなら「輪廻転生する」だけならともかく「二十歳で死ぬ」などという具体的でマニアックな運命を誰が与えるのか。そんなことを考えるのは三島由紀夫しかいないではないか。仏教の教えでも、輪廻転生は悟りが開けるまで繰り返されるのだとされている。悟りが開けたとき、輪廻転生は終わり、人は解脱する。壮烈な死を現実に生きようとすることが、三島由紀夫という男にとっての悟りであり、解脱であったという他はない。

豊饒の海』は現実へと船出する準備期間に合わせて仕立てられた作品だから、その一巻一巻は、そのときの彼の内的要請によって生れたのではなく自己模倣だった。すでに多くの指摘があるが、『春の雪』は、『仮面の告白』の「私」と園子を美化して繰り返しただけであり『奔馬』は彼の行動の先行模倣である。(『奔馬』というタイトルは「本番」のもじりか?)四つの物語は、最後の輪廻転生の否定でしか関連性を持っていない。結果として最後にすべてを否定するためだけに前の三巻は書かれたのである。「すべてはなかったのだ」というこの小説の結末は、三島自身が最後のエッセイ『小説とは何か』で言ったように、「11月25日」を現実とし、小説を「紙屑」としてしまうための結末だった。ラストシーンが庭で終わっているのも庭が小説の暗喩となるからであろう。それはどちらも人工の自然(人生)である。安永透が小説世界の中に生き残ったのは、透がこれからも読まれ続けていくだろう小説作品なるものの暗喩だからだろう。ならば透と結婚する自らを美女と思っている狂った醜女というのは、読者のことを表していよう。三島は『小説とは何か』でも小説の読者の姿を悪意的に描いている。(本多絹江という最終的な彼女の名は『本抱き寝』の意か?)

文学は現実に及ばない。戯曲『サド侯爵夫人』では、おのが欲望の実現を、現実の行動から文学に託す方向へと移行したときにただの醜い男となり、妻の愛を失ってしまう男が描かれた。近代能楽集『綾の鼓』の老人の亡霊は、書いた恋文の数だけしか鼓を打たなかったから相手の女に鼓の音を聞かせることができなかった。「書く」を超えた一打ちこそ真の行為、つまり相手に届いたはずなのだ。

豊饒の海』のラスト。それは三島自身が、文学という命綱を自ら切断し、現実の世界に出ていったという証であった。唯一、生の存在が感じられると期待した流血の英雄的死を今こそ生きんとするために。――「七たび生まれて国に報いる」と書された鉢巻をたずさえて。

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⑥結論:昭和45年11月25日 ~貴種の矜持

比喩ではなく、彼の最期は彼の戯曲作品である。その筋書きといえば、面会した自衛隊総監を縛り上げ、そこで「憲法改正自衛隊が国軍になる」ためのクーデターを起こせと、アジ演説を自衛隊員に飛ばすものであったが、その場でそのような行動を自衛隊員がすぐに起こすなどとは、さすがに三島も考えなかった。だから扇動演説後、このような騒ぎを起こした責任を切腹してとり、それをして自己の訴えを残す。こういうストーリーとなった。上演自体はおどろくほどうまくいった。しかし観客の反応は最悪であった。

高いところに仁王立ちになり、居丈高に両手を腰にあて、拳を振り回していては、反感も買おうというものだが、しかしこれこそ彼のやりたかった立ち居振る舞いなのであった。これは『仮面の告白』において遊動円木の上に君臨した野生児近江の姿そのままである。分厚い胸に張りつく制服。太陽にきらめく金ボタン(金メッキの帽章)。腰に白い手袋の手をあてた立ち姿。拳闘選手のようなガッツポーズ。「俺と一緒に立つ奴はいないのか」というセリフまで、近江の「(遊動円木上での落とし合いに挑んでくる奴は)誰もいないのかい?」という言葉と同じだ。三島はそのときの近江を「こんなに美しい彼を見たことがなかった」と記す。しかし自身は近江のように、そこに集まっていた者らから畏敬の念では見られず、そのとき衝動的に近江に挑む名乗りをあげてしまったときと同じように、ギャラリーからヤジと嘲笑を浴びせられたのだった。まさに「その人にはその人にふさわしいことしか起こらない」という彼がよく用いた箴言どおりになったという他はない。30分予定の演説は数分で中止のやむなきとなった。彼が書いた言葉なら皆黙って読んでくれた。しかし彼の肉声など、誰も一度だって聴きはしなかったのだ!

野次った自衛隊員のなかには「死ぬのなら話を聞いてやればよかった」と後悔したものもいたということだが、あの場面で死ぬなんて誰も想像がおよぶまい。それほど彼の「死にたい」は性急、場違いであった。それに三島の交友は、人を利用するという面が強かった。自分に傷つけられる人がいることに鈍感なところがあった。あのときの自衛隊員も今、自分たちがバルコニーの腰壁に立っている男に利用されていることが分かったのだ。いわば三島は、最後の最後に、利用してきた人たちに復讐されたのである。

政治性があとからの付け足しなのはすでに見た。彼は「日本」を救うように見せながら、実は自分を救いたかったのである。実際、彼の最期の言葉における「日本」は「私」と読み替えた方が合点がいく。いわく「こんな挙に出たのは、私の根本がゆがんでいるからだ」 「自衛隊こそが私を正せる存在なんだ」 「戦後の私は経済的繁栄にうつつを抜かし」 「私を私の真姿にもどしてそこで死ぬのだ」 この置きかえは有名な晩年のエッセイ『果しえていない約束』にも適用できる。「私はこれからの私に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら私はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする」

ついでに英国のジャーナリスト、ヘンリー・スコット=ストークス氏が著書『三島由紀夫 死と真実』で述べた、三島の「日本に呪いをかけている緑色の蛇」という発言もこの観点で解けるかもしれない。つまり、緑色の蛇とは、彼自身にとりついているものである。そして彼のどのエッセイであったか失念してしまったのだが、彼は神経疾患で苦しむ祖母を「蛇がのたうち回っているようだった」と描写していたのだ。緑色というのも、祖母の病身の肌の色として、どこかで描写していた記憶がある。三島の祖母に言及した文章にはいつも祖母へのアンビバレントが感じられる。「緑色の蛇」発言を口にするのに、一瞬ためらったように見えたとストークス氏が言っているのもそれゆえでなかったか。

ついでに彼は西洋的生活をしながら、なぜ日本に回帰したのかと言われることがあるが、これは簡単であろう。西洋的生活は、祖母の「湿った和室」からの脱出願望であり、日本回帰は、軍国主義が席巻していた彼の幼少時代、女の子としか遊べなかった幼少時代の取り戻しである。

さて、彼はなぜあのような異様な死に方をしたのか。

そう、異様であるからこそ、私にとってもそれは引っ掛かり続けてきたのである。切腹という時代錯誤のしかも非常な苦しみを伴う死に方。あっけにとられるほどの場違いなクーデター要求。異様なファクターはいろいろある。しかし何が一番異様かというと、あのぴっちりした制服に身を包んだ彼の演説のオナニスティックな図であろう。(ボディコン服への偏愛もすでに『仮面の告白』にみられる)音声つきの動画を見たら、意味不明の混乱の場としか見えないが、写真のほうは、生前の彼の写真の多くがそうであるようにひとりカッコよく写っている。三島自身このように撮られることをはっきり狙っていたはずである。末永く人々の目をうばうであろうその図。私が三島事件に衝撃を覚え、このような文章をしたためたのも、幼少期、この事件を私に教えた雑誌に、その写真が載っていたからだ。それはその仕立てのいい制服からしても、きわめて「本物」に似せることに成功したものである。

とはいうものの、私はあとになって、あの制服が三島自身があつらえたものだと知った時、非常に驚いたのを覚えている。私はそれを本当に公式な制服だと思っていたからだ。だから「え? このおっさん、ええ歳こいてこんなの自分で作ったの?」となんだか虚無の深淵を見た気がしてぞっとした。早い話、この人、子供の時友だちと遊んでないやろと思った。それは嫌味なほどカッコよく描かれる、作りもの丸出しの彼の小説の主人公とまったく同質のものであった。ともあれ、あの写真は、三島由紀夫という男の強い存在証明書になっていた。ならばそれは、死に方の異様さというより、自己存在の証明方法の異様さというべきではないか?

切腹自体は今でもたまに起こっている。地位的に伝統的なものを受け継いでいる人物が行うこともある。しかし三島の場合、武士的地位は捏造であり、切腹まずありきであったから、その考察にあたっては、「切腹」という行為そのものの持つ根本力学を見据える必要がある。それによればこうだ。腹を深く切る激痛を想像することは、恐ろしさと同時に単純に、その勇気を認めることになるだろう。要は切腹は「すごい」のだ。切腹は、武士の勇気を証だてるために始められたものだという。また同時にその激烈性(すごさ)をして、おのが赤心を強引に相手に分からせるためにも行われた(らしい)ものである。ならば三島は、この激痛を引き受けることによって、その「すごさ」により、おのが真実性をどうしても見せつけたかった。主張を受け入れて欲しいと切望した。(言わずもがなであろうが、この主張とはあの檄文の内容とは違う意味での主張である)「あるもの」を得たいと思った。だから正午のニュースにあわせて公衆の前に軍服の姿をあらわす必要もあったというのが、率直な解釈になるのではないか。

では、なぜそれほどまでに彼は、真実性を見せつける必要があったのか? 存在感の獲得、老いることの恐怖も語って来た。しかしとどのつまりは、

「存在感の欠如」という敗北性に、けっして甘んじることができなかったから

これ以外に私には答えが見つからない。

「私には敗北の趣味が先天的に欠けていた」(『仮面の告白』)

「私は何より敗北を嫌った」(『太陽と鉄』)

殺人の禁止性のゆえに、また自己存在感のなさのゆえに、また過激でハデなカッコイイ、つまり「すごい」死に方こそ存在感を得られるのではないかと考えたために、彼は死にたかった。彼が死にたがっていたことは、彼の作品に親しんだ人ならだれもが理解できるであろう。ただし「自殺はいや」(『詩を書く少年』)なのであった。それは彼が、芥川や太宰の自殺に対して、再三嫌悪感を表明していることからも明らかである。それは敗北の証だから。彼の死は、敗北の結果ではない「殺される」死でなくてはならなかった。切腹が絶対者に「命じられる」死であり、「殺される」死であることはすでに申し上げた。また彼が幼い時から抱いていた殺人願望にしても、それが逆転勝利への意志でなくて何であろうか。結局、ボディービル、および成功した作家の名声と経済力があったからこそできたといえるものの、「殺される王子」、英雄的な死を迎える男、それに自ら化身するという解が、幼少期にすでに選ばれていたという他はない。いや、彼のあの膨大な努力は、最初からすべてそこに収斂されていたというべきだろうか。彼の死が自殺でなく、武士的で勇敢な「自決」という言葉で表記されつづけているのは、彼が後世の人間に強いれたひとつの達成であろう。

貴種、天人たる矜持――。

これこそ彼の特性の本質であり、宿痾であり、生を阻む固定観念である「美」への執着の中核であり、さらには彼の文学の魅力の源泉ではなかったか? これは三島由紀夫という人物固有のものでは決してない。人間普遍のものが、ある特殊な環境において、強烈な軸と化しただけである。

三島事件は、大名の孫でありながら、平民に嫁がされるなどの彼の祖母の苦がもとになっていることからも分かるよう、巨視的に見れば、日本の急速な近代国家化によるゆがみがもたらした事件ともいえるだろう。社会システムや価値観を急激に変えるために、どれだけ家庭が、そして個人がひずみを受けているかは、日本で今も継続中の問題である。三島事件は彼自身それと知らず、近代日本のゆがみを視覚化してみせたのだ。それは彼よりはそのゆがみの被害を受けなかったわれわれへの呪詛でもあり、それを皆で分かち合うことを狙いとしたものであるかもしれないのである。私は本稿において、終始、三島由紀夫の主張する政治論、および事件の政治性は完全に無視してきたが、(これは私が自衛隊憲法に問題を感じてないということではない)この観点、近代日本のゆがみが個人にそのまま露骨に表れた事件とみる観点においては別である。むしろ、この観点にこそ、三島事件をもっと幅広く論じる本質、日本人にとっての今日の問題があると考えるものである。

それにしても三島由紀夫は『奔馬』の主人公のように、切腹の果てに、生の輝きを見たのだろうか? しかし彼自身、本気で、それが見えると思っていたのではあるまい。なぜなら「それが無になるのを見たとき、それは有であることが証明できる」という理屈は、生きている人間には不可知だからだ。自分が刃物でふたつに裂かれたときしか、自分の存在を見ることはできないと書こうとも、それは生まれたときの光景を見たという主張同様、彼の自己申告にすぎないのであり、つまりは必死の思いこみにすぎないのである。

そんな三島に対して、われわれのほうはといえば、不可知であることをそうであると信じきって生きている。われわれは、いろんなことを、盲目的にそうだと思い込んでいる。だから空虚の深淵に落ち込まないですんでいる。自分は存在していると信じ込むことができるのだ。

三島にはその盲目的に思い込む精神基盤がなかった。だからしかと「見て」確認するしか道がなかった。そして最後には、それが正しいのだと、必死に思い込むよう努めるしかできなかったのである。

盲目的にそうだと思い込めなければ、確かに人生は耐えがたいにちがいない。