たまきちの「真実はこうだ!」

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二二六事件はなぜ起こったか

二二六事件を調べていくと、青年将校たちのあまりのガキっぽさにビックリしてしまう。今のわれわれは昔の若者は大人っぽかったとアイドルに対してさえそういうが、二二六事件の青年将校たちだけは例外、とさえ言いたくなるほどである。

二二六事件は、政府に不満を抱いた青年将校たちが、悪政をつかさどる大臣たちを殺害し、天皇親政の政権を打ち立てようとした事件であると説明されるものの、この説明だけでことの納得ができる人は少ないであろう。実際、彼らは天皇親政の政治体制の下プランなど何も描いていなかった。これでは大臣を殺すこと自体が、いや、極端にいえば、若者特有の何かパーッとすることがしたいがために、このようなことをしたのだという疑いを持たれても仕方がないというものである。

いや、もっとはっきり言う。結局のところ、彼らは、満州事変、五一五事件と軍部が力を得た時代の中にいたので、自分たちもまた世界を変える力を持っているのだとカン違いし、それで何か大きなことをやりたくなってたまらなくなったというのが本当ではないか。ここらは皮肉にも、当時、大正デモクラシーの自由な空気がまだ残っていたのも与かっていたと思われる。二二六事件の蹶起将校たちはそんな自由な時代に育った青年たちでもあった。

ならば彼らがガキっぽく見えるのも当然のことに思える。実際、彼らの中では一番年長の村中孝次(元大尉)ですら事件当日32歳で、中心は20代後半であった。高倉健が反乱将校として主演した映画「動乱」などなんらこの事件の本質を突いてない。なぜならこの映画の撮影時、健さんは48歳であったからだ。二二六事件の映画化は、20代の青っぽい青年俳優で固めてはじめてリアリティが出るものである。

尊皇討奸、昭和維新。それは彼らにとって、戦争よりも面白いものであった。戦争はこっちが殺される可能性もあるが、国内での粛清行為ならこっちが殺される可能性はまずない。事実、二二六事件の将校たちは五一五事件の首謀者が死刑にならなかったことを頭の隅に置いていた節がある。こっちが殺されるかもしれない戦場に行かされるより、世直しのために暴れまわり、奸臣を斬るというほうがやりがいがあり、すなわち楽しい。これはそれほど分かりにくい理屈でないだろう。(↙)

(↙)しかし、二二六事件は五一五事件のような事後経過はたどらなかった。青年将校の政治家暗殺姿勢は、政治家たちに対する脅しになるので、軍中央も黙認していたものだったが、あのような大規模な形で大臣殺戮が行われたとあっては、もはや見逃すことはできなくなってしまったからである。いや、事件勃発当時は、軍中央もかばう姿勢を見せたのだが、昭和天皇があまりの暴虐ぶりとそれへの対処の遅さに激昂したため(まったく無理もない話である)、結局、今後、青年将校たちの暴挙を掣肘するためにも首謀者らは全員、軍隊内部の非公開裁判の中で死刑にせざるをえなくなってしまったのであった。

しかし、軍部が力を持ったという時代背景のもとに行われたことなら、青年将校のしたこともまた軍部のひとつの側面であったと言えるだろう。満州事変、そして二二六事件の翌年から始まった日華事変(日中戦争)などの対外侵攻が、軍部の外に向かっての暴走なら、二二六事件は内に向かった暴走なのであった。二二六事件のケリがついたとき、日本の軍国主義はあとはもう、外へ向かっていくしかなかった。